我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

道を歩む 〜その1〜 

下館板谷波山記念館にて



昨日の水曜稽古会は休会中のY君を除く全員が参加。因みにY君は一昨年入門の会員番号2番。昨年から忙しくなって稽古会参加が減ったとは言え、スポット的に参加してくれています。

早くコンスタントに参加できる状況になれば良いのですが、まぁ、先は長いので無理をせず出来る時に参加してくれれば嬉しい限り。

毎月参加出来ないと気に病むよりは、空き時間に少しでも自主稽古して、事情が許すときに稽古会に出席してくれれば、ブランクも大して響かないでしょう。

無理をせずということで言えば、忘年組手で古傷再発させてしまったAさんも、毎週水曜日の稽古会には顔を出してくれています。

Aさんの場合は半分くらい見取稽古になることもありますが、怪我に障らないように動きを制限しながらも熱心に稽古をされており、本当に頭が下がります。

今の自分に出来ることをやる、というのが武術・武道に取り組む者の姿勢です。いや武術修行者のみならず、人生を主体的に生きようとする以上、どんな分野に身を置こうとこの気持ちを忘れてはいけないですね。

コンディションが良くないから、時間が無いから、お金が無いから、彼女が出来たから、どうせ俺は運動神経がないから・・・等々やらない理由はいくらでも見つかります。

人間やっていりゃ、予期せぬ出来事や不調なんて日常茶飯事ですから。

でも、所詮人生は「やるか、やらないか(やったか、やらなかったか)」だけですし、どんな理由をつけようが、自分の行動の結果は自分で受け止めて行くしかないわけです。

だから今やれることはやっておく。太気拳の稽古に限って話をしても、少なくとも立禅だけはする。あるいは足が悪くて立禅が出来ないなら、椅子に腰掛けて禅を組んでも良いし、呼吸法を練っても良い。暇を見つけて手の動き・足の動きを取り出して研究する、というのも「アリ」でしょう。

我々は競技者では無いのだから、ある意味、強い弱いではない。誤解を受けると困りますから、強さの概念が違う、と言った方が良いかもしれません。

武術は身を全うするために稽古するもの。力やコンディションがベストでは無いのなら、それなりに身を処する、というのが身を全うするための大前提です。だからその稽古においても、条件が良いのなら良いなりに、悪いのなら悪いなりに、「今やれること」に取り組むしかない。

そして人生は常に「今」しか無い。今を見つめ、今を受け止め、今を生きるのみ。それだけが「未来」を主体的に創り上げる唯一の方法ですから。

(つづく)