我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

生まれたところを遠く離れて(その2)

新年早々有給を取った。犬の散歩と太気拳の朝稽古にたっぷり時間を割き、家内とともに地元の知人を自宅にお招きして昼食会。そしてご挨拶まわりやらレストランの新規開拓やら、ゆったりと有意義に過ごした。

初出社の日に有給消化日数が足りないということで上司に呼ばれたので、すかさず、「それでは金曜を休んで4連休にさせて頂きます」と答えた。2日の深夜帰宅し5日に出社した。冬休みも取っていなかったゆえこれで帳尻合わせというわけだ。

30日に現地を発ち、パリで2泊して2日夜に成田到着。時差ボケは割合に楽に脱したが、「ボケ」は残っている。仕事のリズム・進め方が全く違う地域に3か月居たので、噛み合わないのだろう。

それにしても、この3ヶ月で我々を取り巻く状況は大いに変わったようだ。出発前にはフル稼働で突っ走っていた会社であるが、今や残業時間や経費の管理が厳しくなっている。

大義名分が立つ出張はどんどん行け、という方針から「そんな用件、なぜ電話・TV会議で済ませないんだ」というものに変わっている。地元企業も期間工派遣社員の解雇を始めとする、なりふり構わぬ対症療法に出ている。暗い話題がやけに目立つ。

出張先の話である。その国は失業率が30%だという。町には失業者があふれており、休日カフェでお茶を飲んでいると見ず知らずの人間に「仕事無いか」と聞かれる。床屋で散髪中に取り囲まれて仕事の斡旋を頼まれたのには閉口したが、“失業者”という言葉に付きまとう暗いイメージはない。

かの地では地縁・血縁の絆が強く、失業しても、取り敢えずは家族・親類・知人がある程度面倒を見てくれるそうだ。宗教から来る相互扶助の精神なのだという。とにかく、我が祖国と比して人間関係が濃い。

もっともそれも良し悪し。相互扶助の精神を拡大解釈し、徹底して他人まかせな人間も多い。責任感という言葉は彼らには無縁のようだ。失敗しても二言目には「インシャラー」である。

逆に、現代日本人には責任感にとりつかれたような方もいる。仕事を解雇されただけで無力感や疎外感に苛まれ、ノイローゼになったり自殺したりする者もいる。自分の作り出した幻影に怯えて居るかのようだ。

私はいずれにも違和感を覚える。人事を尽くして天命を待つ、が私の基本的なスタンスである。働くという視点で言えば「骨節の続く限りは働かん 及ばぬことは 神に任せて」という一首に収斂される。

人事を尽くさない者も天命を待てない者も、“至誠”の道を歩む者に非ず。私とて市井の凡人。とてもとても至誠を体現しているなどとは言えないのだが、道を歩む姿勢だけは持って居たいと、遠い異国の地にて柄にもなく真面目に考えてみたりした。