我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

15の春

以前も書いたのだが、疎開を兼ねて娘と家内は淡路島に出掛けている。

疎開を兼ねて、と言っても娘についてはもともと春休みは神戸と淡路に出掛ける予定だったので、ある意味予定通りだったわけ。

4月からは高校生。将来農業がやりたいということで、農業高校へ進む。

淡路島の家内の従兄弟は専業農家。さっそく農業体験をさせてもらっているそうだ。

卒業式の翌日に大地震に見舞われたり、一日違いで津波を逃れたり、とあわただしい15の春休みとなったが、入学までの期間は関西でゆっくりしたら良い。

15の春休みと言えば、私の場合はある神道系の青年研修に参加していた。

研修会の合間、1人の老人に引き合わされた。小柄な体躯と柔らかい物腰。何処にでもいるおじいさんであったが、目が合った瞬間、背筋が凍るような感覚を覚えた。

生身の人間に相対して背筋が凍ったのは初めてだった。老人は「あなたのお父上と稽古しているんですよ。熱心な方でね」とさりげなくおっしゃった。

この方が、父が神様のごとく敬っていた剣術と体術の達人なのか・・・。武術に関してはどこまでも自他に厳しい父であった。

有名な格闘家や武術家についてもきびしい評価をするのが常であった。長らく武術の世界に身をおいていながらも、認めた武術家は片手程度であろう。

その父が、心酔していた達人がこんなに小さな老人だったとは。

研修会の最終日、将来の抱負を皆で語り合った。私は「武道を通して完全燃焼の生涯を送る」と答えた。

当時すでに『拳聖』を読んで澤井先生の存在は存じ上げていた私は、生涯をかけて武術を修練して「あの先生方のようなお爺さんになりたい!」とあらためて決意したのだった。

なぜそんなことを考えたのかは分からない。しかし、こころから純粋にそう思えたのは確かである。

あれから幾星霜。不惑を過ぎ、人生の半分を生きた私であるが、道は半ばにも到達していない。


15の俺に顔向けできる自分になっているんだろうか?あの頃の気持ち、思い出そうぜ!

手紙〜拝啓 15の君へ〜:http://www.youtube.com/watch?v=kOV40cr_8wI