我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

逆手 〜 その2

水曜の高田馬場の稽古では、身法と今回のテーマである逆手をご指導いただく。

普段稽古する拳法の打突も同じだが、逆手にも普段の立禅・這・練の稽古で培う感覚や体捌きが生きて来る。

高木先生の手を取らせていただく。組手や推手の稽古を頂いたときと同様に、中心へと斬り込んで来られるような感覚を味わう。

表現方法は逆手であっても、人間同士が相対したときに生じる力の運用であるから、普段の稽古で練り上げた渾元力が決め手となる。

これを練らずに小手先の技だけでは、いざと言うときにまったく役に立たない。

ずっと昔、合気道は剣の理合を体術に展開したものである、との話を聞いたことがある。

また、合気道の源流たる大東流合気柔術は、会津藩の上級武士に伝わった御留武術だったとも。

その真偽は知らない。しかしながら、幼少の頃から武芸十八般で鍛えたサムライなら、捕り手・逆手においても卓越した力量を発揮した可能性はある。

合気道とか柔術というと、婦女子や枯れ枝のような老人でも、力を用いずに大の男を捕りひしぐものであると思われているようである。

残念ながら、そんな甘いものではない。少なくとも武芸はおろか、茶道や能、礼法といった武家の所作すら稽古したことの無い現代女性には、合気で男投げるなんざ無理な相談だ。

武家の所作、という形式が問題なのではない。それらが培う姿勢の力と、それを常に生み出せる心身を備えることが大事である。

我々で言えば、やはり禅・這・練でしょう!