我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

拳風

どういう経緯だったか失念したが、日曜稽古会の終了後に羽賀準一師範の剣風を受け継ぐ日本剣道協会の話題になった。

羽賀師範は、剣聖と謳われた神道無念流中山博道先生の有信館門下で、中倉清師範・中島五郎蔵師範と並んで三羽烏とうたわれた名剣士。日本剣道協会(以下、協会)は竹刀稽古・型稽古・神道無念流の居合を並行して稽古するという。

支部塾生で剣道経験者のFさんによれば、歩み足から体を捌いての横面と突き、そして組討が特徴だという。そう言えば、私のかつて親交のあった東武館の先生も、中倉清先生の体捌きからの横面について語っていた。無念流の業なのだろう。

戦前までの剣道は、小野派一刀流神道無念流北辰一刀流・・・といった古流剣術と剣道が並行して稽古されていたということは、耳学問で知っている。日本剣道形も諸流のエッセンスを抽出して制定されたとも聞く。当然、剣士たちは出身流派の動きを色濃く残した剣道をした。

剣道に体術的な要素もかなり残っていたようだ。上述の東武館の先生も70歳前であるが、足払いや組討は相当稽古したという。その当時は剣道をやると素手の喧嘩も強くなったとか。

全剣連の推進する現代の剣道では、歩み足や突きは頻度が減っているし、組討に至っては皆無だ。その分、剣先での遣り取りは増えたであろう。

勝手な推測であるが、全剣連の試合に勝てるスタイル、一本を取ってもらいやすい打ち込みなどが段々と固まってくるのに従い、古流の技は稽古されなくなったのだろう。その善し悪しは剣道初心者である私にはわからない。私自身は、純粋に剣道を面白いと感じて稽古しているし、武術修行の栄養を頂いている。

翻って我らが太気拳ではどうか?王向斉先生自身が諸流と手合せ・研究し、オリジナルの形意拳の枠を大胆に打ち破った大成拳(意拳)を編み出された。草創期の弟子も、各流派の経験者であったという。

太気拳創始者である澤井先生も、中国では異種格闘技戦さながらの組手稽古を積まれたことが、記録に残っている。帰国後も他流との交流を続けられ、門下に集う弟子たちにも実践させたのは有名な話だ。

第三世代といわれる私たちは澤井先生を知らない。我々が見るのは高木先生の太気拳だ。高木先生が澤井先生の動きと言葉を頼りに、ご自身の身を以て築き上げた世界のエッセンスを、我々は伝授頂いている。

ここでふと思う。我々は高木先生が刻苦勉励して築き上げた世界の、結晶だけ、上っ面だけ眺めて太気拳を分かったふりしているのではないか??だから、構えや立ちだけは多少似せては居ても、実力が伴って居ないのではないか、と。

基本は師匠の教えを墨守して稽古するべきだ。同時に、その戦いでの表現においては、誰にも真似の出来ない自分のやり方があるはずだ。

自身に空手なり剣道なり柔道なりの経験があるのならば、戦いの中でその動きがふと表出するのは当然だ。それが立禅・這・練によって練り上げられて血肉と化しているならば、それは立派な太気拳であろう。

澤井先生ご自身、晩年まで拳法の技とは別に、剣と寝技を得意にされた。

さて、私は自分の器を語るほどの“拳風”を確立し得るであろうか?