我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

マイ左遷ライフ 〜その4

久しぶりにサンドバッグを好きなだけ打てる、とあって、いささか調子こいて叩き過ぎた感がありましたが、気分よく打ちまくり、適当なところで終えました。

会長はニヤリと笑って「なかなか馬力があるな!」と一言。そして、いくつかアドバイスをしてくださり、「明日から来いよ」と右手を差し出しました。その手を握り返し、私の拳闘生活が始まったのであります。

仕事を終えると週に3回ほどジムに通い、週末は当時お世話になっていた古流の道場、そして、
時々空手の稽古、というサイクルができあがり、私のやり場のないエネルギーは少しいい方向性を与えられたのでした。

当時表芸にしていた空手道や、勉強に通っていた古流剣術とまた違うリズムを刻むボクシングは
なかなか面白く、拳闘への“遊学”は、私の稽古歴を語る上で有形無形の影響を与えてくれました。

今、応援させて頂いている世界ランカーの嶋田雄大選手は、このジムで知り合った友人です。当時はアマの選手でしたが、あの頃と全く変わらない拳闘への真摯な取り組みは、私も稽古を詰めて行く上で随分と刺激を受けたものでした。

世界挑戦を続ける嶋田選手には、いまだに刺激を頂いています。これもまた有難い出会いです。

風間会長とは練習の後に随分と語り合いました。週末などは終電がなくなってしまい、中目黒から当時住んでいた川崎まで歩いて帰宅したこともありました。

会長には、「俺が紹介する女の子と付き合え!」と迫られて断るのに苦労したのも、いい思い出です。ボクシングについてはまた語る機会があると思います。

仕事もそれなりに忙しかったですが、片道切符を頂戴した気楽さから、肩の力を抜いて楽しんでやって居ましたね。外回りに出かけて飲食店を新規開拓するのが楽しみの一つでもありました。

金曜の夜はというと、ジムに行くか友人と飲みに行くか、はたまた夜のパトロールに出掛けて治安維持活動に励むか、という日々です。時には一気に全部やることもありました。

たとえば。ジムでの稽古の後にキャバクラに出かけて、そのあと渋谷や六本木でナンパ。女の子が引っ掛かってくれない腹いせに、チンピラや不良外人への教育的指導。終電がなくなったら、会社に帰って役員応接室で仮眠、という感じです。

どうせ親会社には戻れないし、出世も出来ない。それなら仕事も女性も稽古も楽しんで、好き勝手やって、アンテナに引っ掛かったところを糸口に、人生を切り拓いて行こう。そう思っていました。

武術は大好きで稽古を続けていましたが、確固たる方向性が見つけられずに居たのです。

30代・40代・50代・・・とどのように展開させて行こうか、果たして生涯武術を稽古して
行けるのか。そもそも俺はどんな風に生きて行けば良いのか、などなどと迷い続け、エネルギーをまき散らし続ける日々でした。

今にして思えば、好き勝手をやりながらも悩み続けた日々が、今現在の行動力の起爆剤になってくれているような気がします。方向性が定まらないつらさ、というのも肥やしになると思います。エネルギーがある、というのが絶対条件でしょうけれど。

幸い私には若さと体力があり、左遷をきっかけに、出世コースや世間の目を気にせずにやりたい事に飛びつくことが出来ました。

左遷やリストラは、会社員生活で最大の危機ですが、危機は転機であり、大胆に行動することで潮目を変える好機でもあると、身を以て学びました。

要は、アンテナを張り続けること。方向性がわからなくても、アンテナを張り、自分の感性に引っ掛かったものに飛びつく脚力があれば、道は拓けるものであると、私は確信しています。