我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

不二流体術演武会

揃い踏み@国士舘



今日は文化の日に相応しく、国士舘大学の楓門祭に出掛けて参りました。お目当ては不二流体術の演武会です。

国士舘は最近御交誼いただいている大嶋宗家の母校。言ってみれば今回の演武会は母校に錦を飾った格好です。

旧友の畠山氏とその空手道の師匠である凱旋塾塾長の沙人師範と待ち合わせ、演武会場に向かう。到着した時には居合道の演武が行われていました。

居合道の後が不二流さんの出番です。稽古生の方々の迫力ある体術、短刀捕りの演武に続き、大嶋宗家の演武。宗家の演武はひときわ見事なもので、非常に感銘を受けました。

演武終了後、不二流の理合について宗家による解説。相手の突き込みに対しては、逃げずに一歩前へ出て半身を切るということを強調されていました。

また「人生でも同じですね」とも。まったくです。そうありたいものです。

着替えを済ませて学食でお茶を飲み、近くのお蕎麦屋さんで4人だけで打ち上げ。話は大いに弾み、蕎麦屋婆ちゃんに追い出しを喰らった我々でした。

駅まで我々を送って下さった後、大嶋宗家は不二流の皆さんと合流。我々のために時間を取って下さっていたんですね。大嶋先生のお気遣い、いつもながら、感謝!! の一言です。


さて、良い機会ですので演武会について私見をば。演武会については、武道界でも賛否両論があるようです。反対意見としては、見せることで余計な動作が入るとか、必要以上に力むようになるとかがあるようです。

確かにそう言うことはあるでしょう。しかし、普段の稽古が演武前提で成り立っているのならばいざ知らず、時には舞台に上がり“見られる自分”を客観視することも、良い稽古になると私は感じます。

相手にとっての自分の見せ方を研究するのは良い稽古です。どのように見られているかも分らずに相手をコントロールするのは無理がありますね。

それと、見られることによる内的な変化も見落とせません。

家内の友人で歌舞伎座でバイトしていた人の話ですが、あの坂東玉三郎さんが“出勤”された際には、「いつもきれいね〜」と会場係同士でささやくというのも、彼女の仕事だったそうな。

わざと玉三郎さんに聞こえるように言うのだそうですが、その一言が彼の意識を高め、ますますきれいになるのだとか。

私もいつか、地元の栃木で演武会を行いたいものです。

宗家はお借りするわ、学内では色々気を廻して頂くわで、不二流の皆様にもとても気を遣って頂きました。皆さん、どうもありがとうございました