我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

剣道に思う〜攻めの話

剣道手拭


娘が中学校(小山第三中)で剣道部に入部した。先週の土曜日には剣道部の朝練見学会&保護者懇談会に出席してきた。

公立校であるにもかかわらず、この部はこれまで何度か全国制覇を成し遂げており、地元の強豪道場・練兵館の道場生が越境入学までして入部するとか。先生方におかれては骨身を惜しまず情熱溢れる指導をなさっていることが、ひしひしと伝わって来た。

稽古指導・生活指導ともにばっちりで、子供を、安心して預けられる環境である。完全な初心者で入門する娘ではあるが、レギュラーになれるか否かにかかわらず、多くのことを学ぶ三年間となるであろう。

私は結構恵まれた武道人生を送って来ており、稽古の面であまり他人をうらやましいと思うことはないのだが、正直、娘だけはうらやましいと思う。

自分自身は剣道の経験は学校の体育くらいしかないが、剣道をされていた方と会食する機会が以前は結構あり、随分と触発を受けたのを覚えている。

私見ではあるが、剣道はある意味、近代武道最後の砦ではないか、と思う。何故なら、理法に則って勝つ、ということにメジャー武道の中で一番心を砕いているのが剣道であるからだ。

究極の勝負を見据え、その理法に則った修練に基づく人間鍛練・行動学が、現代における武道の存在意義であろう。

であれば、シビアに勝負を見据えつつ、稽古・試合では修練した心・技・体の完成度の確認を目指したいものだ。剣道は、競技試合を行いながらも、その理念を見据えていると思う(勿論、全てが理想通りではないだろうが)。

中学校の道場で先生がさかんに「攻め、とは間合だ。間合とは、時間・空間・心理のコントロールだ」と仰っていた。太気拳の稽古で、高木先生にも何度と無くうかがった言葉であり、今更ながら、心に響いた。

小山支部開設のご許可を頂いてご挨拶に伺った際、佐藤嘉道先生も同様のお話を強調されていました。

今まで色々な武道・格闘技と触れてきた中で、出たとこ勝負のぶっ叩き合いやポイント取りゲームをやって得意になっている連中を随分と見た。今一度、自戒の意味を込めて、殴り合いではない、“攻め”のある稽古を心掛けたいと思った次第です。

翌日日曜に娘の剣道具を買いに行きました。剣道具屋さんで見かけた手拭が気に入ったので、自分用に購入。王薌斎先生は「剣道には気がある」とおっしゃった、とか。また、お気に入りアイテムが一つ増えました!