我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

「心正しからずば・・・」 (鉄)


はじめまして。のすけ。の夫の鉄太郎です。本日よりおけいこ日誌に参加します。

自己紹介はおいおいするとして、愚妻とともに太気拳の稽古にいそしむ38歳の会社員、とでも覚えておいて下さい。

しかしなんだね、たまにはいい曲出ているんですね。氷川きよし『一剣(いっけん)』。

帰宅してたまたまつけたTVで「きよしとこの夜」やっていたんだけど、オープニングに流れたのがこの曲。歌詞も歌手もいい。

「心正しからずば 剣また正しからず」

「行雲流水 ながれるがまま」

などなど、バカ正直で分かりやすい歌詞がワシ的にはナイス!最近、何が言いた
いんだか分からん曲が多いからなぁ。

「心正しからずば・・・」は幕末の剣豪・島田虎之助の言葉なんだけど、心とはアタマで覚えた道徳とか倫理の話ではなく、感性・本能レベルのことを言っているんですね、実は。

小生の尊敬する戸塚宏先生の言葉をお借りすれば、“正しい本能”とそれを基礎にした“正しい理性”といったことでしょうか。戸塚先生の「本能論」は素晴らしい人間学ですので、これについては、また述べる機会があるかもしれません。

詳しくは戸塚先生の『教育再生!』(ミリオン出版)を読んでいただくとして、
まあ、心は本能を基礎にして成立する、と云うことです。

この本能は種保存を第一目的として機能するので、アタマでデッチアゲた倫理や道徳の勉強をしても心の修養にはならないでしょう。

教育者とか武道の先生でも、この辺のことが分かっていない方が結構いらっしゃ
るようで、話していると「???」となることがありますね。

本能とは“感じる力”でもある。だから、素直に物事や人生をみつめていないと多種多様な情報と価値観があふれ、あまつさえ過剰に知性を重んじる現代の社会の中では正しい心を養うのはむずかしい。

小生の修行する太気至誠拳法は「気と気分の拳法」と言われる。「意」「想い」を練り、それに身体の動きを一致させることで我が身を全うする武術。

正しい「想い」は、わが身の置かれた状況を思考を介さず判断して身体がそれを実行に移す。

まさに、「心正しからずば “拳”また正しからず」を地で行く武術ですね