我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

秘伝の巻物

先生

いつも お世話になっております。

先日、
ある江戸時代の巻物の現代語訳に接しました。

五代将軍綱吉の お抱え医 であった
杉山和一検校の口伝を弟子が巻物にまとめたものです。

当時、医者といえば 漢方医のこと。
中でも 和一検校は 鍼灸(管鍼術)の神様として
現在まで 江島杉山神社に祀られています。

その巻物は秘中の秘として つい三年前まで
金庫に保管されたままに なっていました。

内容は鍼灸の道具、治験例、手技等、多岐に亘るものですが
中でも その 最終章 『免許皆伝の巻』には
このような事が 書かれていました。

(以下、抜粋)

教悟 第一 --- 教える側と悟る側の心構えについての前置き

物事の真理を伝えるにあたって、それを正しく伝えられるかは
教える側の力量にあり、それをしっかりと受け取れるかは
悟る側の力量と姿勢による。師が真理の一角を挙げて語れば、
弟子は師がまだ語らぬ三方の角を語り返す。(後略)

☆上記の如く 和一検校は 鍼灸上達を求める道について
語っているのですが その道(鍼法)を 
他の芸道に読替えることは 充分可能のようです。

(続き)
・・・そうは言っても、技巧に偏って 鍼を使うことは行い易いが、
鍼法の妙を尽くして生きることは なかなか求め難い。
巷に見られる俗な鍼法には 入り易く、その刺法を鑑賞しては
『なるほど巧いものだ』と、感心し見物できたことを喜んでは
いるが(中略)事を急ぐ性格だったり自由奔放な者は、巷の
鍼法に感心しては、不覚にも安直にできると思い込んで、
その方向にはまってしまう。

沈機 第二 −−−心と身体の浮ついた働きを沈めること

鍼を刺そうとする時には、まず黙って坐り思いを静め、
自分の心を『意』(=治癒に導こうとする意識)と一体化させ、
(中略)気を充実させ精神を発揚させるのである。
古人によれば それは
『湖に潜って深淵にたどり着くように、また薄暗い穴に入って
虎を手で握るように、息をひそめ慎重に精神は辺りのものに
気を散らすことがない』という状態であって
『少しばかり意識を心に留めていて、かつ失われることがない』
のである。
鍼を持つ手が軽すぎるときは、鍼先もまた生き生きとした
動きを失ってしまい、また手が重過ぎるときは、鍼先を
渋り滞らせる結果となる。必ず自分の脚や手を正しく置き、
身体の姿勢を正しくせよ。

執鍼 第四 −−−鍼を持つ手の有り様

・・・鍼を執るのは手である。しかしながら、手を中心として
考えてはいけない。鍼を縦横に運ぶのは指である。
しかしながら、指は自分でも意識しないようにすべきである。
手のひらは力を抜き、ヌルヌルとした卯の首を握るようにし、
意識は壮健、勇猛かつ慎重に あたかも虎を握るようにする。
謹厳、柔和であること貴人の側に仕えるが如くである。
鍼法は機敏な動きでなければならない。

鍼要 第五 −−−鍼を刺す理

・・・気の動きが至ったことは、たとえば
魚釣りで釣り針を垂れていると、魚が餌に食いついて
当りを感じるようなものである。

☆以上のような 内容で、とても興味深く感じました。

                   のすけ。