我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

心を作る 〜 その2

試合中心になると、修行者の奨励のために始めたものが、試合に勝つための修行にすり替わってしまいかねない。

とにかくポイントを取るために、態勢を崩してでも打ちに行く下種な外人どものKENDOと、心で心を打つ日本剣道はまったく違うものである。

三殺法というが、剣を殺し、技を殺し、気を殺して打つ。これは無手で行う体術(柔・拳法・空手など)でも同じだ。

それがいわゆる「攻め」であり、攻めが無いと相手と五分の状態で叩き合うことになる。それゆえ焦りや恐怖で、あたかもヒステリーを起こした小型犬のような立ち合いになる。

剣道よ、心の稽古と「攻め」を忘れて、JUDOに呑みこまれた柔道の二の舞には、なってくれるな。

太気拳もまたしかり。スカスカの心身で試合なんかやったら、行き着くところ「TAIKIKEN」という無国籍格闘術になってしまうだろう。

それだけは看過できない。

高木先生が至誠塾では最低1年は組手をやらせない、と謳うのは、その間に太気拳の出来る心身と、動きの基礎をつくるためであると伺った。

初心者はつま先から頭のてっぺんまで意識して丁寧に基本を中心に練り上げるべきであるし、黒帯は確固たる基本に基づいた強く正しく美しい立ち合いを初心者に示せなければならない。

その根底にあるのはやせガマン・見栄である。

(つづく)