我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

功夫(ゴンフー)とは何か〜その1

通り一遍には、前述のWikipediaにもある解説〜中国武術で重要視される「練習・鍛錬・訓練の蓄積」、また、それに掛けた「時間や労力」の意〜という理解で良い。
時間と労力を掛けたことがかんじられる深みのある動き・力、それを生み出す訓練・鍛錬・修養・・・それらをゴンフーと呼んでいる。そのような能力の持ち主を、中国武術をたしなむ者は「彼はゴンフーがあるね!」という風に評する。先に述べた通り、私自身は中国武術に特別な思い入れがあるわけでは無いのだが、これは便利な言葉だ。日本語には同質の表現が、見つけにくい。少なくとも人口に膾炙した簡便な表現で、同様の意を一言であらわす言葉を、寡聞にして知らない。
ここで肝心であるのが、訓練を積み一通りのことが出来たからと言って、武においてそれを「ゴンフーがある」とは表現しない。ここでいう「一通りのこと」とは、武道においては基本的な技法が出来て、それを用いて戦えるというレベルである。
しかしながら、それでも通じない相手はいくらでも存在する。生まれ持った体格・気性の激しさ・運動神経を兼ね備えた者が少しマトモに稽古すれば、並みの素材の人間が「一通りのことが出来るレベル」に達したところで、手に余ることになるだろう。

突き、蹴りも覚えて一応できるようになった。しかしそれも通じない相手が現れた場合は、自分の器を作り上げなければ、どうしようもないのである太氣拳・佐藤嘉道師範 『拳聖 澤井健一先生』所収)

一通り出来るようになったにもかかわらず、なぜ通じないのか?特別に優れた体格や運動神経を持つ恵まれたものでない限り、たいていこの「壁」に突き当たる。相手が素人ならばいざ知らず、同じように技術を身につけ同じように鍛えた者ならば、「素材」の勝負となる以上、
・剛よく柔を制し
・大よく小を制し
・速よく鈍を制し
・若よく老を制し
・強よく弱を制す
・・・というアタリマエの結果をみることになる。

ではどうするか?アタリマエではない「異質な」自己となる以外は無い。異質な技術・思考・戦術・・・を実現する身心に変容する、そのための訓練・鍛錬・修養に時間と労力、そしてそれによって獲得した身心の能力をゴンフーと呼ぶのではないか。

では、アタリマエでない「異質な」自己とはどのようなものか。身心霊の一致した状態ではないかと思う。ヒト、ことに利害得失を中心に据えて生きる現代人は、身・心・霊が一如でない状態が、アタリマエである。

体は嘘をつかないが、心は嘘をつく。そして魂(霊性)は嘘をつけない鎌田東二 宗教研究として『身心変容技法』研究が問いかけるもの 宗教研究88巻別冊所収)

心が嘘をつくとは、生まれてから身に付けた習慣や価値観によって形成される認知バイアスに呪縛されること、すなわち「色メガネ」をかけて事象を見ること。そしてその結果として自分の心が作り出した虚像に惑わされることであると、私は考えている。
身体と霊性は、直感という形で事象を客観的に捉えている。しかしながら、心はそこに損得勘定や不安、見栄などといった余計な要素をさしはさむため、直感・思惟・行為が一体となって一刹那に行われることはほとんどないのが、現実であろう。
身体が受信した情報を、心が正しく認識する。そして、間をおかずに最善の対応を実行に移す。それが常に出来れば、もはや戦いにおいて後れを取るということはなくなるであろうし、戦わずして身を全うするケースもあるだろう。
(つづく)



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