我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

籠り態(こもりわざ)

家内がボイストレーニング指導を頂いている先生は、芸道において「籠り態(こもりわざ)」というものを重視されている。聞いた話を私が理解した範囲では、籠り態とは「自分と静かに向き合い、あらゆることを削ぎ落としていく事で微細化する」行為とでもいうべきもの。

となれば、立禅はまさに籠り態の最たるものだと言えまいか。立禅の効用について、武の技法との関連で「足腰の鍛錬」「腕の張りを得る」「拳勁、矛盾力を得る」「全身のつながりを体感する」・・・などなど様々な説明がある。そして、これらはすべて大事なことだと思うし、まずはそこから入るべきでしょう。

しかし、この微細化するという処に思いが至らねば、どこか抜け落ちるような気がしますね。私の場合。

微細化するとはどういうことかについては、ここではクドクドと述べる気はありません。籠り態を行じたことがない方に言葉で理解していただこうというのは、土台無理な話ですから。行為を分解して説明することで、嘘になっちゃうこともある。

少しだけ言えば、この微細化の過程を踏まずに技法だけ稽古している方と比較したら、意識の速さ・深さはまるで別人になる。だから、稽古量や体格・素質が同レベルの両者が立ち合えば、籠り態を行じている者には勝てない。

武道以外の分野、例えば宗教などでも同じでしょう。宗教の行には籠り態が含まれる。敵を作ることを承知でいえば、行をやっていない宗教家は偽物です。これは断言していい。

法事などに出掛けると、この手の連中によく会うので辟易とします。読経後の説法も道徳話レベル。行をやっていないから心身が練り上がっておらず、凛としたものがない。だから、発する言葉も魂に響かない。言葉はそれを発するものの心身のレベルによって、価値が変わる。

微細化せず粗いままの心身では、相対した者の魂に染み渡ることはない。魂に染み渡らない。中心に響いてこない。だから小細工を弄して何とかしようということになる。小細工で何とかしたとしても、それを「道」とは呼べまい。テクニシャンと呼ばれて喜んでいるうちはまだまだでしょ。

私は武「道」を行じたい。


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 中国武術意拳(大成拳)の流れを汲む武術。宗師・澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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