「意」について〜その2
先日、イメージによる誘導について疑問を呈しました。
太気拳の稽古で「意念」という言葉が頻繁に出て来ます。立禅などの訓練を行う時に具体的なイメージ(例えば「木を引き抜くように」「水の中で立つ・動くように」など)を持つのですが、そのイメージが大事なのではなく、それにより力が満ちること・機能が活性化することが大事ですね。当たり前ですが。
認識が生理機能に影響を与えることはよく知られています。一例では、梅干しやレモンを口に入れたと「念う」だけで唾液があふれたりします。これは梅干しが酸っぱいのを体験してを知っているからです。
実際には梅干しが口に入ってなくても、その人の口中には梅干しが「ある」。だから、唾液がでるわけです。梅干しを知らない方には同じ現象は起こらないでしょう。
やるなら、木を引き抜く「ように」ではなく、木を引っこ抜く。本当に意念を持とうと思ったら、実際に一度くらい、引っこ抜くべく木を抱えて取っ組み合ってみたらいいんじゃないでしょうか?(普段から木と取っ組み合う稽古をしろ、という意味ではありません)
意拳に「意到力到」という言葉がありますが、意念を抱いて力が満ちないのはやり方が間違っているからです。神経の指令系統が意に従って正しく機能しなかった、ということです。ひとりよがりの稽古、というわけです。妄想ですね。そこからは何も生まれない。
そういう意味では適度な組手の経験が、立禅・這・練の質を上げるとも言えるかと。シャドーボクシングのときにどんなに真剣に戦いをイメージしても、実際に試合やスパーの経験がない方では、単なる妄想です。それと同じですね♪
もっとも、「質のいい組手」ができることが必須ですし、そのための段階的な稽古が必須ではあります。
武術のことは別にしても、質の高い「意」を持とうと思えば、質の高い経験(いろいろな意味があります)が必要だと確信します。妄想だけでは、何も生まれません。
太気拳至誠塾栃木支部は、太気至誠拳法(太気拳)を学ぶ武術・武道の道場です。武道初心者はもちろんのこと、武術・武道・格闘技で伸び悩んでおられる中級者以上の方も歓迎いたします。また、護身・健身(健康づくり)目的の方の参加もお待ちしております。稽古会場:小山市・栃木市・宇都宮市・上三川町。詳細は:http://taikiken-tochigi.jp/practice/
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<太気拳とは>
中国拳法の流れを汲む武術。創始者・澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。