拳の本質
最近は公私共に忙しく、稽古時間が減ってきている。畢竟、やれることは限られてくる。
まず第一に基礎錬体。とくに日々欠かさないのが、立禅と這(はい)。立禅は独立椿(片足禅)と普通の禅の両方を行う。それと剣の素振りを少々。
準備運動としての筋骨や連動を整える運動や、身体を緩める整理運動も欠かせないな。
時間があれば、練(ねり)や突き蹴りも行うが最近はやれない日が多い。
どんな風に動いても心身の調和・バランスが乱れなければ、勝てなくても滅多なことでは負けない。
それを練り上げるのが上述の基礎錬体。
武術としての体技を語るのであれば、打撃系だとか組技系だとかに必要以上にこだわるのはオカシイ。
有事において身を全うするためには、技云々以上に人間の心と身体の仕組みを理解することが大事。その理解に基づいて護るべきところを護り、攻めるべきところを攻める。
何度も書いたし、これからも書くが太気拳の修行者は王向斉先生の金言をかみ締めて修練に励まねばならない。
曰く「拳とは力を奮い起こすことである。局部の方法ではない」
『拳聖』でも澤井先生が王向斉先生の“力”が立禅によるものだと直観して禅に励んだ逸話がありますが、そこに奥義があることは想像に難くない。
太気“拳”だから打撃系、という物言いは先師の言葉を知らなさ過ぎるとのそしりを免れられない。
打撃系だとか組技系だとか、そういうのにこだわるのを“局部の方法”って言うのではないかな。なんと言うか、現実の一面を切り取ったシロモノですな。
“力を奮い起こす"ということは全方向的な本質的な力を発揮することと、私は考えています。そういう観点で言えば、武器を視野に入れるのも“あり”でしょう。
まーねー、メカニカルな部分に依存するところが大きい銃器や花器は、“力を奮い起こす”とは関係があまりなさそうだし、制圧する達成感が薄いので、ワシャあまり興味はないんだけれどね。
そういうわけで、明日もまた力を奮い起こしますよ!おやすみ〜♪
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