観の目
東京に出掛けた家内を駅に迎えに行くと疲れ切った表情。聞いてみると、今日見に行ったベリーダンスのショーを観て疲れ切ってしまったのだという。
主演のダンサーは流石に素晴らしい動きを見せたそうだが、他のダンサーの多くは、肩が上がったまま腕を動かしたり、首が不自然に曲がっていたりと、痛々しい身体であったらしい。
しかも、主演ダンサーのパフォーマンス終了後、となりの客席にいた方が言った言葉がふるっている。
「あの衣装、ステキね〜」
イの一番にこんな言葉が出てくるってどうなんだろう?それしか見ていないってことなんだろうな。
何千円もするチケット買って、見るところはそれかよ。
例えば、剣道の京都大会とか八段戦を観に行って、「あの先生のお道具は素晴らしいね」なんて話がイの一番に観客から出るだろうか?
私は観に行ったことが無いのでワカラナイが、きっとそんな事を言うヤツは居ないだろうと思うね。
おそらくそのような試合を観戦する方が話題にするのは、少なくとも決まり手となった技、もっと言えばその技に至るまでの見えない攻防であろう。
映像には写らないが、確かに存在する内面をこそ、問題とする。それが「違いが分かる」ということであり、玄人の最低レベルです。
「内面の変化を読む」「行間を読む」という能力は、対象に向き合い分け入って観察をすることから生まれる。
だから、レベルの高い分野では「観客であること」ですら能力が問われる。そしてレベルの高い観客が、観られる者のレベルを更に引き上げる。
よくYouTubeでアメ公が床体操のような空手型を打ったりする映像があるが、これは足が高く上がる、とか、動きがダイナミックである、というような観察力が無いトーシローにもわかる形に対象(この場合は空手)をデフォルメしてスペクテータースポーツにしているわけで、文化に対する冒涜である。
テメエの認識力の低さを棚上げして、他国の文化を素人向けに作り替えるのだからアメ公には、恐れ入るよな。
まー日本人でも長年稽古をやっていても【駄目な技】を平気でやる人がいる。【下手な稽古】なら【上手】になる過程であって、単に順序の問題だが、駄目な稽古はいくらやっても駄目なまま。
これは素質の問題ではない。単に自分の心身や動線を丁寧に観察して取り組めるか否か。すなわち、取り組む姿勢の問題です。
家内によると、ベリーダンスを含めて踊りの世界には身体が悪い先生がたくさんいらっしゃるそうだ。
格闘技やコンタクトスポーツでもないのに、若いうちに身体が蝕まれるって、どうなの?それって、動線がおかしいからじゃないのかな。
満身創痍を自慢している人は、稽古への取り組みを見直しされた方が良いですよ。好きでやる分には勝手になされば良いですが、お弟子さんをとるのは無責任というものです。
ハードトレーニングも良いけれど観る目、すなわち【観の目】を養うことはもっと大事なことだと思います。
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