我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

気づき力と意地

親父の見舞いと娘の高校入学祝い、そして娘夫婦の第一子誕生祝いを兼ねて、家族が全員集まった。

我が家の男衆は、親父・弟・私と沸点が低い面子がそろっていたのだが、十数年前親父が病で倒れたことをきっかけに、我々兄弟は少しずつではあるが“太陽政策”の方向に宗旨替えしつつある。

先日は“我をはる”ことの大事さを記事に書いたのだが、時と場所を選ばずに“我”を張れば、人はついて来ないし、それ以上に命がいくつあっても足りない。

それはつくづく感じますナ。

沖縄には「意地が出たら手を引け、手が出たら意地を引け」という諺がある、と空手の偉い先生がおっしゃっていた。


小山に帰ってくる途中、東海道線で迷惑行為に及んだ兄ちゃんを注意したことから軽く揉めた。先に手を出させて“口実”を作ろうかと思ったが、その男はトロンとした目をして悪態はつくものの、手は出して来ず、私も先に手を出すわけにはいかないので幸い何も起こらなかった。

弟が言うには「それは大麻の常用者だろう」とのこと。湘南地区ではサーファーを中心に結構な数の愛用者が居るのだとか。

彼自身もサーフィンをやり湘南地区での暮らしも長い。サーファー仲間には親の脛かじりや低賃金のアルバイトを繰り返しながら不惑の声を聞いても6畳一間から抜け出せない“生き腐れ”がゴロゴロ居て、そう言う連中がダウン系のドラッグが原因の自殺であの世に行っちゃうことがあるらしい。

そんな“掃溜め地区”がいくつかあるという。サーフィンをやることだけを考えれば、それらの地区のコミュニティーに所属するのが楽であるらしいが、“堅気さん”で居たい弟は、そこには近寄らずに一軒家を購入した。


まあ「君子危うきに近寄らず」ってやつですな。


かく言う私も短い距離の移動はともかく、小山⇔平塚間は必ずグリーンに乗って生ゴミに遭う確率を狭める努力をしている。今回はグリーン券を購入する前に電車が来たので、大船で湘南新宿ラインに乗換えるまでの間の出来事だ。

「俺もアパートで暮らしていた時はそういう連中をバンバン殴っていたんだけどさ」と弟が続ける。相変わらずやな(笑)。

「家を購入したら逃げるに逃げられないから無視することにした」

「それに兄貴、オクスリや葉っぱやっている連中殴るとショックで心停止しやすいから、やっぱり気を付けた方が良いよ。ゴミを片付けて傷害致死なんてつまらないよ」

一応こいつも医療関係者(理学療法士)だから、この忠告は聞いておこう(笑)。

若い頃は世間が狭いから、正義のために腕力を行使したり無茶をやることが正しいと思っちゃうけれど、年齢や経験を積むと、違う面から物事を見られるようになって行くものである。

武術だって同じだな。熟練者は、実体験や試行錯誤の繰り返しのなかで一種の法則性を悟るからこそ、ここで出るべきか・退くべきか、打てるか・打てないかが瞬間的に判断できる。

戦いにおいて年齢や体格による有利不利が逆転する理由は、ここにあるのだろう。長いこと稽古したから神秘の力が出る、とかそんなんじゃない。私の経験で言えば、30年程度の稽古では神秘の力は出ません(笑)。

以前、佐野の珈琲音のマスターに「人生の成功のキーワードは出会い・気づき・行動だよ」と教わったことがある。この出会いを経験・体験に読み替えれば武術修練の上達のキーワードにもなるな。

失敗も含めて経験や体験を次につなげるのは、“気づき力”だな。それを十全に発揮するためには、意地を引くことも時には大事なんだろうね。

素直にならないと姿を見せてくれない宝物もあったりするからね、うん♪