我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

でっかく生きろ 〜哲学を持て

でっかく生きる、とは言ってもピンと来ない人も居るだろう。そんな人は、ちょっと目線を変えて、でっかく生きる、の反対を考えてみればいい。

でっかくの反対だから、ちっちゃく生きる、かな。ちっちゃくでも、チマチマでも、セコセコでもいいんだが、そういう生き方がどんなものか想像すればいい。

身近で「ちいせぇ野郎だな!」と思う具体的人物を思い浮かべてもいいな。・・・思い浮かべたか?


具体的な「ちいささ」「せこさ」の実例は色々あるだろうけれど、そう揶揄される人の共通項は、余裕の無さ、視野の狭さ、心の狭さ、といったものではないか?

でっかく生きるためには、これらの小人的マイナス要素をなくさねばならないが、こういうものはひとつひとつチマチマ取り上げるんじゃなくって「元から断たなきゃダメ!」である。

そのためには、かく在りたい・在るべしとする思考や行動の軸、すなわち“哲学”を備えることだ。

自分の人生において大事に取り組むべき対象、すなわち仕事、学問、ライフワーク、伴侶・・・について「そもそも○×とは・・・」と問い掛けてみろ。

それが分からないで、正しく対象に向き合えると思うのだろうか?正しく向き合えないで、望むような成果が手に入れられるとでも思うのか?だとしたら、めでてーな!としか言いようが無い。

そもそも太気拳とは・・・、が分からないで太気拳を究めるなんて出来ないでしょ?もっと言えば太気拳は武術なんだから、そもそも武術とは?っていうことについても考えないとね。

それにしたって、模範解答を知識で知ってもどうしようもないわけで。解答を知ること以上に、確信を持てる解答にたどり着くまでの悩み抜くプロセスが大事だから。

思考と行動を繰り返して得た“哲学”は、自分の行動原理・指針となってくれる。

こうしたブレない軸があればこそ、大局を見て小事にこだわらず、臨機応変・自由闊達な行動力を発揮することが出来る。

優れた行動力があれば、出会いもあるしチャンスにも巡り合える。それらをモノにしていく過程で自信も持てるようになるし、実力も身についてゆく。

実力がつけば、それに応じた舞台は向こうからやってくる。でっかく生きるための、大きな舞台が。

だから、若いうちに行動の軸を作るべく、大いに行動し、壁にぶち当たり、悩みぬくべきだ。

そういう大事な時期に、携帯の掲示板なんかいじくっているヒマなんかねぇんだよ。