我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

凶の時代と護身

広島のマツダの工場で忌まわしい連続殺傷事件があった。亡くなった浜田博志さんは、さぞや無念であっただろう。

マツダの元期間社員・引寺利明容疑者の顔を見て思ったことがある。それは、弱い人間特有の表情をしている、ということ。

詳述は割愛するが、あれは単なるブサイクではない、とだけは言っておく。

あのような事件はまだまだ今後も起こるかもしれない。なぜなら、社会はどんどん世知辛くなり、その一方で、人間はどんどん弱くなるように仕向けられているからだ。

強さとは、格技の強さではない。もっと根源的な生きてゆく強さである。それが、育っていない人間が多過ぎる。

誰もが口を閉ざして居るから俺が言ってやる。はっきり言って、弱さは悪である。少なくとも、“善”は生まない。

揚げ足取りを避けるために言っておくが、生まれつきの障害や不慮の事故や傷病に苦しむ人については、ここでは論じない(まあ、こんなことをいちいち断らないといけないってのも、変なんだけどな)。

弱さをも個性である、と論じる馬や鹿のおかげで、この国がどれだけ悪くなったことか。国賊どもめ。

こういうキチガイを世に出したら、親も罪に問われるべきじゃないか??

鉄は熱いうちに打て、という諺があるが、子供のうちにキチンと心身の形成を見守っていないと、時としてあんな気持ち悪い顔の人間が出来る。

引寺容疑者もそういう意味じゃ、被害者と言えなくも無い。ナマクラな冷えきった鉄が、社会に出て打ちまくられたら、そりゃあ、割れてしまうわい。同情はしないけどね。

手前の子供がすっとんきょうな格好をし始めたり、どんよりとしたツラになったら、親は膝を詰めて子と向き合え!

社会が悪い、とか抜かすな。そんなこと言うよりも、自分が世に問えるものを身に付ければ、自然と自分の意見が通るようになるものだろ。

戦う前から逃げやがって!

まあ、そうは言ってもキチガイが増えてゆく事はまちがい無いだろうから、今後はしまり無い表情の人間が居たら、避難することにしよう。

そう言えば今日も、稽古に向かう山手線内で危ないやつがいた。厚着をして汗をだらだら流す巨漢。そいつ、半端じゃない異様な体臭がした。

次の駅でとなりのお嬢さんとともに、すかさず車両を変えたことは言うまでもない。護身の初歩は、三十六計、逃げるに如かず、だ。

これからの時代、護身の心得は必須だね、うん。