我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

旧友と再会 〜空手の話〜

最近隔週参加になっている柴又本部道場での稽古に、本日行って来ました。

高砂駅で旧友に再会。実は高砂で会うのは一回目では無く、二回目。駅の中にあるアートコーヒーで後ろから声を掛けられたのが、1ヶ月半くらい前の話。本部道場が出来る前に我々が稽古に使っていた公園で、古伝空手を習っているのだとか。

彼とは、昔、同じ道場で稽古をしていたのです。そこでは剣術や居合を主体に教えて頂いており、先生の人格見識技量すべてを尊敬申し上げておりましたが、思うところあり、もともと取り組んでいた体術の世界に復帰した次第なのです。

私より早くその道場を去り、以来、音信不通となっておりました彼ですが、どういう経緯か分かりませんが何しろ武道の世界からは足抜けしていないことだけはわかりました。

武道のことにはなかなか精通した人物なので、折を見て色々と教示頂こうかと考えています。私自身も空手出身であり、空手に対する思い入れ・リスペクトは持っております。

余談ですが、バーリトゥードが出た時に空手が随分と組技に負けましたが、出ていた選手には空手とは言い難い連中が結構混ざっていました。おかげで空手そのものの評価が世間でがた落ちし、真面目に空手道場をやっている方の中には、いい迷惑を被った人たちも居たことでしょう。

空手が組技の餌食になるのは、いわゆる「打撃格闘技」になってしまったからなのでしょう。空手が打撃格闘技になって、ルールの中で勝つために、本来の体の練りを忘れてしまいましたからね。

私も空手を稽古したとは言え、空手のすべてを知るわけでは当然ありません。ただ、空手を空手たらしめる身体の練りには本来素晴らしいものがある、と思っています。それは3年や5年で身に付くような甘いものではないので、競技にてっとり早く勝つという目的の中で、切り捨てられてしまうのでしょう。

腰を落とすことを知らない人間、姿勢を低くすれば腰を落としたと勘違いしている人間、棒の手のひとつも出来ない人間に、そしてナイハンチ(もしくは鉄騎)も参戦も出来ない人間に空手家を名乗ってほしくはないものです(最近じゃ、空手を習ったことが無いのに空手を名乗る馬鹿がいるからなぁ)。

この辺のことを書き始めると、眠れなくなって明日の稽古に差し支えるのでやめましょう(笑)。そもそも、ここ、太気拳のブログですしね・・・。