我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

舞台に上がるということ〜2

昔、極真会のウィリーが猪木と格闘技戦をやったときの話をふと思い出した。

うろ覚えで恐縮ですが、ウィリーの指導に当たった黒崎先生、梶原一騎センセに半年の指導料として○千万円を請求したという。

梶原センセイが払ったかどうだか定かではないのだが、「高すぎる」という意見に黒崎先生は「必要経費だ」と一喝。

「田舎モノのウィリーが猪木に位負けしないためには、たまにはいいものを着て最高のホテルで最高の飯を食わせて、ということが必要だ」というのがその理由。

猪木・ウィリー戦のときは小学生だったので、これは後から知った話だけれど、さすがは黒崎先生だな、と思ったね。

初めて都会に出た田舎の兄ちゃんが挙動不審になったり、ケンカしたことないやつが必要以上にびびったり、もてないおっさんが女に話しかけられて舞い上がったり・・・と、ことほど左様に人は“非日常”や“初舞台”に弱い。

俺の友人でも、40歳越えてデビューしたヤツが居たけれど、鳥居をくぐったあとの舞い上がり方は半端じゃなかったらしいよ、クネクネ♪

ま、そいつのことは置いておいてと。

ちょっとしたことでも初舞台は大変なのに、まして、それが大舞台だったらどうか。

黒崎師範は、プロの舞台に初めて上がるウィリーが猪木のオーラと華やかな舞台に舞い上がってしまわないように、華をまとう練習、舞台に上がる練習をさせようとしたのだろう。

私はプロのリングに上がったことはないが、一種独特の世界であろうことは想像に難くない。そこでビビらず・舞い上がらず・強がらず・・・というのは並大抵のことではあるまい。

これは別段プロ格闘技に限ったことではなく、ビジネスのプレゼンでも、それ以外のことでも、自分をまな板の上に載せたつもりで舞台に上がるということは、なかなか大変なことだ。

武術・武道の稽古は精神陶冶の修行である、などと言っていても、ちょっと舞台に上がったらビビッてしまうようではダメだね。

そのうちに機会があれば弊支部の会員さんには、演武を体験していただこうと考えている。

演武、というと馬鹿にする人も居るが、観客の気持ちを引き付けて凛とした心地よい緊張感を演出するのは、難しいものだ。

私も何度か演武は経験あるが、観客との掛け合い的な要素は、複数相手のケンカに通ずる心理戦とも言える。

いや、むしろ一発かまして逃げてもいいケンカの方が、私にとっては楽だったな(笑)。

そう言えば、柔道の木村政彦先生は度胸の無い学生に「あそこのヤ○ザを殴って来い!」とけしかけて胆力を練らせたとか。

まあ何でも経験です。そのうちにやりましょう。あ、演武ですよ、演武。木村先生の真似ではアリマセン。

私自身、演武からはだいぶ遠ざかっているだけに、若干不安ではあるけれど、久しぶりにカブいてみたいね。


日取りが決まったら、心の準備運動代わりにだな、思い切り緊張する高いレストランにでも行ってくっかな、と♪