我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

良い稽古

午前中は独り稽古。脚を気遣いながらではあるが、二時間半ほどかけて基本を一通り。夕方は、久し振りに水曜稽古会。ここでは練と推手、組手を行う。

立禅(りつぜん)・揺(ゆり)・這(はい)・練(ねり)、そして探手(たんしゅ)まで。『拳聖・・・』によれば、独り稽古の場合、探手まで行って一通り太気拳の稽古が終わったことになる。

一通りやれば、ダイジェストでやっても2時間はかかる。探手とは、相手を想定して自由に動く、いわばシャドウボクシングのような稽古である。

単なる想定では無く、身体を練る要素もある。序盤は柔らかい動きで心身を盛り上げて、激しく動くのは最後の数分。

私にとっては組手の方がずっと簡単だ。組手においては、相手の動きが私の動きを決めてくれる。打つにしろ、打たれるにしろ、相手が決めてくれる。

目下の課題は、一本調子にならないようにすること。身体を練る意味もあるのだから、得意技だけ繰り返すのは意味がない。

今日は良い稽古が出来た。自分なりに良い動きが出来た、という面もあるが、それよりも、直すべきところが炙り出しにされたという感じ。

昔お世話になった先生に言われたことを思い出す。

「ダメな稽古をしないようにね。下手な稽古をして下さい。」


下手な稽古は上手な稽古に繋がるが、ダメな稽古は何べんやっても上手な稽古にはならない。そして、上手な稽古は下手な稽古を経て初めて出来るようになる。

いつも言っていることだけど今の自分を変えるために稽古をするのだから、初めから上手な稽古なんか出来るわけないだろ?

ワタシにとっては、上達・進化に繋がる稽古だけが良い稽古。自分が出来た気になる稽古なんか、どうでも良いんだよ。