我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

心身を扱う

アロエベラの生命力


気候が安定しない季節である。涼しいと思ったら暑くなったり、晴れていると思ったら一気に降り始めたりと、とにかく落ち着かない空模様だ。

ちょっと油断すると体調を崩してしまう。かく言う私自身も先週軽い夏風邪をひいてしまった。もっとも、食事と入浴で「冷え取り」を行い、すかさずリカバリーに努めたが。

身体活動の分野で40歳代以降成長を続けながら現役を続行できるか否かは、コンディション調整を含むリスクマネジメントの如何による。

武術の場合、いわゆる「剛の鍛練」は一定の年齢を過ぎたら見直すことが必要だろう。剛の鍛練とはここでは筋力・跳躍力・持久力・耐久力・・・など、一般に「強さ」をイメージさせる要素の鍛練を意味する。正しい分類かどうかは別にして、中国拳法の用語でいう「外家拳的な鍛錬」といえば分かりやすいであろうか。

一方で内家拳的な鍛錬はというと、内功とよばれる呼吸・意念を手掛かりにした心身の調整力系の訓練体系となろう。太気拳の方法論も内家拳的なモノが大半を占める。

もっともこれは一種のステレオタイプ的な分類で、外家拳といわれるものも内功を行うし、内家拳外家拳的な外功法を行う。

誤解を恐れずに言えば、外功法は武術とくに無手で戦う体術を追求する場合、生涯を通じて鍛錬する必要がある。比重と方法論が変化するだけのことだ。

年代で言えば、泉があふれるがごとく生命力と成長力が満ち満ちている10代20代は外功を積極的に練るべきであろうし、30歳代以降は徐々に内功の比重を増やすのが良いだろう。

いくつになっても「生きる」という必然性がある限り、身体は故障しても復元して行こうとするという。アタマで考えるよりカラダは精密に出来ているようだ。カラダは何をすれば良いか、なにが自然なのかを知っている。

そのカラダの可能性をアタマでひねくり出したトレーニングで、壊してしまわないようにせねばならない。特にルールを神とする競技スポーツを行う場合、心身のリスクマネジメントは必須だ。有体に言って、ルールや競技方法は身体にとっての自然性は考慮してつくられてはいまい。

自分の心身に素直に向き合い、身体の隅々まで知覚すべく内観すれば、生き物としての機能や能力がよみがえってくる。生命力が輝きだす。

武術そのものがリスクマネジメントの方法論と行動哲学であるとすれば、覚悟なく心身を粗末に扱う者にその扉を開く事は出来まい(ここでいう“覚悟”については稿を改めたい)。


註)今日の一枚はアロエベラ。葉の根元の切断面は写真にあるように勝手に復元してしまいます