我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

身体を変える

道化師の“探手”@パリ


またまた犬と遊んでいて眠りに落ち、寒さで目覚めました。んで、風呂を沸かし直ししている間にブログの更新であります。

昨夕の水曜稽古会は公園にて立禅と揺を行った後拙宅に移動。2階の稽古場で基礎講習会を実施しました。口頭での説明がやや多めになるので、気温を考えて室内の稽古にした次第です。

内容的には太気拳の練法で得た“整体力”をいかに突き・蹴りにつなげるか、という観点でざっとおさらいをしました。

突き・蹴り・組討ちなど個々の技を有効ならしめるための発射台づくり、ということです。この観点を欠いていると、立禅・這などを熱心にやっていても組手に繋がりにくい。

空手などの土台のない人が太気拳やっても大して伸びない、という意見がありますが、上記の観点が欠落すれば当然かも知れません。しかし、逆を言えばそれだけの話だとも思います。

ついでに言えば、武道経験が無い人の中にはそもそも粘り強い稽古でトライアル&エラーを繰り返し、ゆっくり身体を変えるという概念が無い人がいます。

数年前に他流の内功系武術をやる人と話をしていた時の話です。「一日20分の站椿を週三回やって居るけれど20代の空手二段に負けました」とキャリア1年半の40歳代後半の方に真顔で相談された時には、マジでぶっ飛びました。

頭脳にしても身体能力にしても、きちんとしたステップを踏んで向上させるしかないというのは当たり前の話で、武道経験云々の問題ではないと思うのですけどね。

…まぁ余談はさておき、稽古終了後は軽食を提供して忘年組手のDVDを鑑賞。時間が時間ですので、支部塾生の組手と高段者の組手のみを観て、私なりの寸評を加えました。

特に、当支部のエースM君と東京のO君の組手は勉強になったと思います。O君は格技・武道の経験なしで太気拳を始めましたが、いまやすっかり太気拳の身体になっており、それがM君との組手の質の差になっていました。身体を変えることの意義を改めて認識しました。

たまにはこんな稽古会をするのも良いと思います

【今日の一枚】
元旦の朝、パリのプランタンの前で大道芸を行う道化師。その柔らかく練り上げた動きは、まるで太気拳のようでした