我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

小さな変化に気づく

大きな目標よりも、小さな変化に気づくことが大事だなぁ、と痛感する。
人は希望と道標のないことを続けて行くと、一種の痴呆になる。進歩の実感がないことに快感を覚える状態が、その前兆であると思う。

いきなりキツイ表現を使いましたが、武術系の方は心して歩んだ方がいいですよ。進歩の実感がないことに快感を覚える状態とは例えば・・・
内功系や合気系の武術において、
「戦えるようになるために最低10年はかかる」
ということを公言する方が居ます。

たしかに「明らかにこれは次元が違う!」という戦いが出来るようになるには、最低それくらいはかかるでしょう。むしろ、10年なら早いくらいです。

でもそれと「10年間戦えない」というのは、別の話じゃないかと思います。

そういう方に投げかけてみたい質問が、三つある。
1、あなたの言う「戦える」の定義は?
2、人生何年生きるつもりですか?
3、10年暗闇の中を歩き続けるおつもりですか?

一種の自動反応のように手が利くようになるには、それ相応の修練の期間が要る。
でも、一気にそこを目指すのではなく稽古していたら
・風邪をひかなくなった。引いてもすぐ治るようになった
・いつのまにか人ごみでぶつからなくなった
・気が付いたらモノを床に落とさなくなった
・階段を駆け上がっても息が切れなくなった
・落ち着いて対応が出来るようになった
・何故だか危険をさけるように行動していた
・・・といった小さな変化を拾い上げたら、いくらでもあるでしょう。

その程度の事、とおっしゃるかもしれませんが、その程度の事が出来ると出来ないとでは天と地の差なんです。

そして「ほんの小さな変化」を見落さず、拾い上げる能力を磨くこと。そのくり返しが「変化する力」を向上させる。だから私の稽古場では、準備運動の段階で「やる前とやった後の変化を感じて下さい」と伝えている。私のこの言葉を聞き流す方と真摯に受け止めて自身の心身に向き合う方では、伸びが明らかに違う。

私は武を「内と外に存在するリスクからの自衛のための方法論」であると考え、伝えている。それにはまず危機回避。危機回避の為には殴り合って強いこと以上に「違和感を感じ取る感性」が問われる。それを培うのが、上述の準備運動段階での取り組み姿勢だったりする。

同じ運動を行ったとしても、その心のありようで効果は歴然とした違いが出る。変化の拾い上げを1日1回おこなえば、一年で365回になる。三年で1095回。しかし、本気で向き合う人間は一日一回ということはあり得ない。一日に何度も変化の拾い上げは稽古出来る。日常生活の中で出来る。三年でどれだけの稽古が出来る事か。

そうした稽古を行わないで10年過ごしても、残念ながら内功系の武術はものにならない。外から分かりにくい神経系統の訓練となるだけに、伝える側と受け取る側のベクトル合わせが必要となる。
それを行わないで「いや〜内家拳は、合気系は時間がかかるんです」とのんきに発言しているのは、他人事ながらいかがなものかと思ってしまいますね。そういう姿勢で居る人間は道場の士気を下げるので、私はお断りだなぁ


太氣拳尚武館は、太氣至誠拳法(通称・太氣拳)を学ぶ武術・武道の道場です。武道初心者はもちろんのこと、武術・武道・格闘技で伸び悩んでおられる中級者以上の方も歓迎いたします。また、護身・健身(健康づくり)目的の方の参加もお待ちしております。稽古会場:小山市栃木市宇都宮市上三川町。神戸市(支部詳細は:http://taikiken-tochigi.jp/practice/
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 中国拳法の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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