我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

「柔(やわら)」〜アドラー心理学と武道

こう見えても私、つとめて本を読むように心がけている。自分で経験・行動・実践をすることが人生の基本ではあるけれど、個人の経験で必要な事すべてを知ることは出来ない。認識・想像力・思考力という前頭葉の働きこそ、全生物中、パウンド・フォー・パウンドで最弱(笑)の人間にとって、唯一の武器だもの。

自分より優れた人、自分と異なる発想・経歴の持ち主の考え方を学ぶには、やはり読書が効率的。

で、最近心に響いたのはアドラー心理学の関連書籍。
『人生に革命が起きる100の言葉』

『嫌われる勇気』

私はあまり心理学って興味なかった・・・というか信用していなかった。現在の問題を過去の出来事、特にトラウマというところから考察する“原因論”という立場に懐疑を抱いていますので。だって、同じようなことが身に降りかかっても、当人の受け取り方次第でまったく異なる道を歩むのが、人間ってやつじゃないですか。

上記の二冊にも出て来ますが、原因論の考え方って問題の“解説”にはなっても、必ずしも“解決”にはつながらない。

で、アドラー心理学。こちらは、“目的論”に立った考え方。問題行動への対応で考えるならば、その原因ではなく、目的を探る。そして、目的が分かれば、問題行動以外(の建設的方法)でその目的を達成することを考えるアプローチを採る。

他人と過去、身に起きてしまったことは変えられないが、自分の受け取り方次第で幸・不幸を変えられるという考え。他を変えるのではなく、自分が変わることを学ぶ。

これってとても武的な発想だと思う。武術は実は強さ比べではない。強くなることを学ぶけれど、相手を凌ぐ戦力を積み上げて倒して勝つ、ということを究極の目的にするものではない。そういう価値観に立っていると、いかに戦力を積み上げても、不安が消えることはない。

生き残る、身を全うする。そこが武の原点。もちろん、戦うのは身を全うする手段の一つだから、そのための心技体は常に磨いておかねばならない。腰の刀は常に研いでおく。その上で抜かずに収めるのが最上。

柔よく剛を制す、という言葉があります。これこそ日本武道の真髄。これは相手に勝とうという発想だけでは真に身には身につかないのではないか、と最近考えている。すなわち、相手を否定する・変える、という発想・価値観に立つ限りは、剛よく剛を制すと成らざるを得ない。

正直な話。昔は私も敵対する相手を否定しまくっていた。すなわち、論争すれば言い負かす。掛かってくればド突きまわす、バックが出てきたら、ソヤツもド突き倒す・・・という感じで(苦笑)。だけど、現実にはぶん殴れば勝ち、という単純な決着は意外と少ないモノ。経験者として言わせて頂くと、腕力での決着はいろいろと“アフター”が大変です(涙)。そして言い負かされた相手も、説得はされても納得はしない。

自分も相手も傷つかない、というのが平和で良いですな(遠い目)。「鞘の内」が武の究極の姿のひとつだとすれば、それは格闘能力だけではなく、人間としての境地が加わってなし得るものであると感じます。刀は磨きつつも、自他共栄の精神で生きたいですな、うん。


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 中国拳法の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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