我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

柔(やわら)

武術の世界でおひとり、私と非常に平仄(ひょうそく)が合う同い年の先生がいらっしゃって、この方が「体術は柔(やわら)である」と喝破されている。

実は、私も全く同じネタで書こうと思っていたところだったんだな。いや、ホントに。


で、同じ事書いちゃうとつまらないから、別の角度で。

私が考える「柔」とは、柔らかい動きだとかいわゆる捕り手系の柔術技ということのみではなく、有事への対処において「千変万化」「臨機応変」「居付かざること」といったことを可能にする、心と体のありようである。


武術の想定には、ある意味、決まりごとが無いとも言えるわけで、そうすると、戦いにおいて思い込みだけの一途さや固執は命取りである。

これはなにも試合や稽古、立合いなどに臨む時の話だけではない。そんな「本番」のときにだけアタマでこさえた「臨機応変」は役に立たない。


こういうことは、普段から心掛けて心身が変化するようにわが身を躾けねばならない。稽古以外での生き方が重要であると言われる所以である。

巷間、武道人というと「お堅い人」というイメージがあるかも知れないが、心身の強靭さを備えながらも、一方で人や物事に柔らかく接することも肝要だろう。

都合の悪いことや困りごとがあると、とたんに人が変わったように頑なになるのは「心身の居付き」である。


多少の不都合が生じると、すぐに眉間に縦ジワを刻んでいませんか?気が上がって居るんじゃないの?

ピンチの時にこそ、ふっと息をへそ下に落として肩の力を抜いてみましょうよ。

いらいらしながら煙草吸っているんじゃないっつぅの。煙の行方くらい、気を使え。


仕事も良いけれど、たまにはおねーちゃんの居る店でバカ話でもして来たら?おねーちゃんと盛り上がることも出来ないようじゃ、仕事も稽古も頭打ちになっちゃうぞ。


力み癖が抜けない人は、まず心の力みを取りなさい(笑)。体術は、柔である。



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