我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武道救国論 〜その3

効果的に「武」の技法体系が武術であり、武術の稽古を通じて自分をコントロールし、心身を深化させていく方法論を、私は武道と呼んでいる。

武術を一定以上のレベルで身に付けようと思ったら、自己に向き合う作業が必要となる。自分の想いだけを主張しているお子チャマには、どのような状況下でも場を制する武を身に付けることは出来ない。

まあ、せいぜいのところゲーム的に人をド突いたり締めたりする程度の技が身についてくれるかどうかだな。


師匠や先輩後輩との接し方、武道場での振舞い、稽古着や道具の扱い方、心身の整え方・・・そういうことを身体で学ぶ。一見技術の追求とは関係なさそうなことだが、これが出来ない人間は「殺される」。

ぎょっとするかも知れないが、ミスタイプではなく「殺される」。色々な意味で(意味は自分で考えようね)。


武道だけではないのだが、自分の心と体に向き合う稽古事を積むのは大事です。大事、というより必須である、というべきですな。あなた自身の心と体に、あなた以外の誰が向き合うの?

自分の心身に向き合ったことが無いっていうのは、起きたまま眠っているのと同然でしょ。そういうのを、寝とぼけている、っていうんだよ。


国民の大半が寝とぼけたままで、日本が「良い国」や「美しい国」になんてなるわけない。


色々な世直し論や教育論があるけれど、その多くに決定的に欠けているのは、この「心身に向き合う」という視点だ。

心身にもっとも真剣に向き合えるのは、命を掛けることを前提にする行為だ。もちろん本当に命を掛けたら大怪我したり、最悪死んでしまう危険があるので、稽古においてはコントロールすることが大事である。

殺傷できる技術を体得して、尚且つ仲間を殺傷しないでお互いを高めてゆく。いわば真剣による寸止めとでも言おうか。こうした心身のコントロールは、自己を練り上げて初めて行い得ることである。


現代社会において武道が存在する価値とは、そこにあるのではないだろうか。少なくとも私はそう思っている。

自己をコントロールできない人間に剣(拳)を持たせてはならない。酒や薬物に溺れて好き勝手に振舞ったり、弱者や女性に暴力を振るう者は、武人に非ず。



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