我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

人斬りじゃ寂しい

先日、福島・和知両先輩と食事をした際に、ずっと昔私がある武道団体のセミナーに参加したときの話になった。

手順を教わりながら約束組手的な稽古をしたのだが、その団体の黒帯道場生が自らが教えてくれた手順を破って、投げを打ってきた。

投げさせずに平然としていたら、掴み掛かってきたので、もちろん降りかかる火の粉は振り払わせていただいた。

さらに、その様子を見ていた幹部道場生が近づいてきて彼と替わる。まともな稽古になると思いきや、彼もやることは同じ。まぁ、かく言う私の対応も同じなんだが(笑)。

後でそやつら、道場を主宰する先生に怒られていたな。アタリマエだ。私はお金を払って素直に学びに来ていた“お客さん”なんだから。

その武道団体は世間では実戦的と言われているのだが、道場生二人の応対は勘違い以外の何物でもなかったね。

約束組手で応用技法をやるだけならいざ知らず、ケンカを売るような態度。初めて会った人間に、こんな態度取れるちゃうんだから、まことに平和な実戦武道だと思ったよ。

「島ちゃんよ、ブラジルならそんなの、帰り道で待ち伏せされて半殺しだよ」とは福島先輩。それゆえ、皆、マナーは良いらしい。

和知先輩も「そういう勘違い野郎がまだ居るんですね」と憤る。

数年前、福島先輩のお供で任侠の方にお会いしたことがあるが、この手の方たちの戦いは腕力が強い弱いの話じゃ無い。思い上がった格闘家上がりなどは、しょっちゅうシメていたとか。

こういう方にそんな筋が通らないことやったら、まあ格闘技がどうとか、そういう問題じゃないね。腕力が強ければなんとかなる、とか本気で考える辺り、平和ボケもいいところだよ。

不意打ち仕掛けても仕留められない“低度”の腕で、そういう狼藉をはたらくくらいだからサ、「何をか言わんや」ってやつだな。

ヤーサンだって単純な武闘派から死んでゆくんだ。幕末にそれこそ無数に居た「人斬り○○」だって同じでしょ?

人斬りだけに血道を上げていると、いつか自分に返ってくるよ。ま、人を斬る力量が無いんじゃ、論外だけれどな

武“道”というからには、チンピラヤクザや人斬りレベルで満足せずに、修練や闘いを経て得たものを後進に伝えて行かないと寂しいやね。

自戒を込めて、たまには利いた風な事も言っておくか♪