我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

ポイズニング

今日は終戦記念日大東亜戦争が終わって65年が経つ。私の父は小学校五年生で終戦を迎え、大人たちと社会が180度変わって行くのを観て反骨心をかき立てられて武道の稽古に励むキッカケになったという。

空手の先輩方のなかには学徒出陣を経験された方や、戦後、グレン隊のようなことをされていた方も。戦中派のOBの方々が列席される会合があると、マジで緊張したな。

「俺たちはどうせ戦場で死ぬのなら、稽古で死にたいと思って、死ぬ気で稽古した」とは、ある先輩の弁。バカデカイ米兵と格闘戦になり、空手道の“鉄槌”の一撃で鉄兜の上から殴って斃したという凄まじいエピソードまで飛び出したことがあった。まさに“必死の力”。

戦争は無い方が良いに決まっている。平和な時代に生まれたことに感謝せねばならない。

とは言え、「平和が良いに決まっている!」とさえずるだけでは平和が維持できるとは思えない。共同体と共同体が対峙することから国家が生まれている以上、戦争は人類の宿阿であろう。

根っこを見据えないで口当たりのいいことばかり言っていると、また大本営発表に踊らされることになるよ。ま、これ以上言うのはよそう(笑)。


閑話休題

本日も3名の支部塾生が稽古に来てくれました。稽古は“居付かないで動くための身法・心法”をテーマに2時間半。

稽古後は拙宅にてお茶会。2004年の8月に代々木で行われた太気拳総見稽古のDVDを鑑賞。

佐藤嘉道先生の動きの素晴らしさに、溜息。練り上げる、とはこういうことなのかと、あらためて思う。

支部塾生の皆さんも、食い入るように観ている。

高木先生の技は天賦の才を感じさせられる華のある動きであるが、佐藤先生のそれは、熟練職人が見せるいぶし銀の匠の技。

どちらも今の私にとってははるかかなたに臨む高峰。しかし、絶望感は無い。目指す山の頂は高い方が良い。

高い山には登り方がある。登り方を間違えたら、登れない。武道書を読むとよく、山にはいくつもの登り方があって云々・・・とある。ウソを言うなよ。

登った山の高さがバレバレだぜ?(笑)高尾山を登った程度で本を書いたり、専門誌に寄稿しちゃったらだめだろ?

・・・こういうことばかり言っていると、またNちゃんから「ポイズニング」とか言われちゃうな。


【註1】ポイズニング(Poisoning)について
ポイズニングとは中毒・毒殺・被毒をさす英語だが、至誠塾生の一部では、稽古で毒出しした後に、毒=アルコールを体内に入れながら毒を吐くことをいう。
毒を循環させることで免疫を高める効果があるが、他者の吐いた毒をまともに浴びることになるので、心身が虚弱な者は医師に相談の上参加すること。なお、ポイズニングに伴う傷病についてはスポーツ保険は適用されない。

【註2】補足
ちなみに島村は酒類を口にしないため、しらふで毒を吐く。したがい自他の吐いた毒を全て覚えているため、“言うだけ番長”の傾向のある者は要注意である(笑)