我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

やるべきこと

明日の仕事を終えて、夏休みとなります。たぶん、休みの終わりに年休をくっつけて少しだけ長めの夏休みになるかと。

娘の相次ぐ遠征で賞与もあまりのこっていないので(苦笑)、小山に帰ってゆっくりと稽古でもして過ごすかな。

稽古でやるべきこともだいぶ明確になって来た。

個々の技術がどうとだかは、基本的な練体をやり込めば自然と紡ぎ出されることが、確信となっているので、迷いは無い。

太気拳がどうとか、武術がどうとか言っても、人間の成り立ちと、自然界の理を無視しては存在し得ない。突拍子もない荒唐無稽の秘術など存在するわけも無いわけで。

個々の細かいことを言えば、死ぬまで発見は続くでしょうが、具体的な事実は無限に存在する以上、そんなのアタリマエ。

問題は枝葉末節=個々の具体的事実 ではなく、根幹となる部分。本質論であり一般論・抽象論。

世間一般では「抽象的」というと良いイメージがないだろうが、稽古の世界では「具体的なこと」をいちいち指摘してもらわなきゃ分からんようでは、目が無いね(←黒帯以上の話だけど)。

そこが身体で分かれば、稽古が進むに従い個々の技術は演繹的に紡ぎ出される。稽古しても出てこないのは、素質の問題にあらず。そこが分かっていないから。

まー本質論は、個々の具体的な技術・事象から帰納的に到達するのだが。

ときどきは、立ち止まって「そもそも・・・」というところから(武術に限らず)自分の取り組むものを捉えなおすといい。

知性と感性、そして筋骨と神経をフル稼働して稽古すれば、いいものが生まれる・・・はず(笑)。