我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

心を作る 〜 その3

やせ我慢・見栄を無くしたら、人間は堕落する。美しさ・輝きは、居心地良い処でグデ〜っと無自覚に過ごしているだけの人間には、宿らない。

自らを律して少々背伸びして姿勢を正すところに、凛としたものが宿るし、自らの実力をも押し上げる。

そういう気持ちが若さにもつながる。今、このブログ読んでいるアナタ、少々の年齢で股引なんか穿いてはいないだろうな?

俺と同年代で股引なんか穿くなよ。やせ我慢しろ、やせ我慢!

青年がおっさんに、おっさんがジイサンになるきっかけは、やせ我慢を忘れるところからだぜ!

まあ、だからといって寒風吹きすさぶ中、半ズボンで居たら身体壊しては元も子もないけれどな。要は、ほんの少し背伸びせい、無理をせい!っちゅうことです。

ほんの少しの無理が心身を活性化し、若さと生命力を漲らせてくれる。

武道も同じですよ。

凛とした冴えのある技を遣うのには、それ相応の心技体が必要です。どんよりとした心身から、冴えのある技が紡ぎ出せるわけないでしょ?

よく武術に体力は不要、とかいう人が居ます。相当の名師でもこういうこと言っちゃう人、いらっしゃいます。でも、当の本人を見てみればうそだってわかるでしょ。例外はあるけれど、体力が平均以下の名師なんて、まず居ませんよ。

武術の身体操作そのものは体力に依存しないものであるべきですが、稽古を詰めてゆく情熱とか意欲とか創意工夫は、活性化した心身があって初めて湧き上がってくるものです。

心身を活性化させるためには、適度なやせ我慢で自分のケツを叩くこと。

黒帯になったら、自分のためにも後輩のためにも、それをやりましょう。そうすると、気がついたら力が伸びています。


・・・でも、本当は力が伸びたというより、我慢できることと出来ないこと(してはいけない我慢)を間違いなく見分けられるようになる、という面が大きいんだけどね。

ほとんどの場合、みんな早めにギブアップしているだけだから。早めにブレーキ掛けているだけなんです。

(つづく)