我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

弱くなること

たびたび書いている通り、現在膝の治療中。日常生活においてはともかく、運動や稽古においては不自由を感じる。

とは言え、あながち悪いことばかりでもない。これまたたびたび書いているが、動作に対する精度の要求が、以前より厳しくなって来ている。

骨格構造と重力線を無視して動けば、たちまち疼痛が襲って来るのだから、気を抜けない。

特に推手においては顕著に現れる。推手の強さ、という点では故障前と比べるべきも無い。稽古生とやる分にはまだ体幹と腰腹で力を受け止められるが、先生と手を合わせるともうグシャグシャ。

高木塾長の“斬り込み”は足腰に来る。膝のバネで受け止めることが出来ないので、ダメージを減殺するため、崩されたら飛ぶというか、受けを取るようにした。

武術は受けを取ることが出来て一人前、というか出来なきゃ論外。強ければいい、という格闘技の感覚ではこのあたりは分かりにくいかも知れない。

推手で崩されると、あらぬ方向に手を振り回して崩されるのを避けようとする者も居るが、こういう稽古だけでは上級者の動線を感じることは出来ない。

私も一時的に弱くなったおかげで、受けの稽古の重要性を再確認させていただいている。

能楽師にしてロルファーの安田登氏が、一ノ矢さん(元・大相撲力士)との対談で、能の謡いについて「じつは声が出なくなるようなからだになることが、まず大事なんです」とおっしゃっていた。そのような身体になって初めて“本当の声”が出るのだと。

もっとも、それは自然になるのが大事で、故障をするのが良いという意味ではない。

太気拳は武術。戦いは綺麗ごとではないから、フィジカルな強さは必要だし、致命的な故障をすれば武術生命は終わることもあり得る。

怪我で一時的に弱くなるのはある程度、仕方が無い。要はその時間のすごし方であり、次の段階への歩みの進め方だ。

俺はいつも先を見据えて稽古している。まあ、見ていてくだされ。

P.S.
そう言えば今宵は七夕だったですね。本来、短冊には稽古事の上達を祈念するものだったそうな。
この辺りは、博識な某先輩にクネクネ♪と解説頂きたいところですな!