残心と脳科学
しばらく前の日経新聞のコラム『あすへの話題」に『後の祭り』と題して、フォロースルーの効用について脳科学の見地から日立製作所フェローの小泉英明氏が寄稿されていました(以下、引用)。
(前略)・・・最近では、前頭極という額のすぐ後ろの脳の部分が、手をふり始めようと意識する数秒前に、既に働き始めることもわかってきた(中略)つまり、ボールがクラブやラケットから離れた後の行動が、それ以前のボールの飛ぶ方向や速度に影響する可能性がある(後略)
(以上、引用終わり)
「可能性がある」で終わっていることで分かるように、小泉氏の論は仮説であるようです。その正誤を学術的に論じるのは私の役目では無いので、割愛します。
さて、武道の世界では“残心”という言葉があります。ウィキペディアでは以下のように説明されています。
「武道における残心とは、技を決めた後も心身ともに油断をしないことである。たとえ相手が完全に戦闘力を失ったかのように見えてもそれは擬態である可能性もあり、油断した隙を突いて反撃が来ることが有り得る。それを防ぎ、完全なる勝利へと導くのが残心である」
武術武道を稽古した人ならば、表現は違っても師範から上記のような説明を何度も聴いていることでしょう。まぁ、間違ってはいません。でも、私は腑に落ちない。
単刀直入に言えば、これは胡乱な弟子やトーシロー向けの説明ですね。きっと、へぼ弟子に「なんで?」と聞かれた先生が、面倒くさいから一応分かったような答えを作ったのではないでしょうか。で、先生も理屈に合った説明が出来ないから(そもそも誰も解明して居ないし)、そんな風に言ったのでしょう。
それが、平和な時代に“金許し”で免状をもらった連中が先生になった時に、そのまんま伝わったんでは無いでしょうか。
冒頭の論に当てはめるならば、“(残心をするという)技を掛けた後の行動が、それ以前の技の決まる方向や速度に影響する”ということなのでしょう。ハンマー投げの室伏選手の“雄たけび”みたいなもんです。
室伏さんも記者やファンに聞かれて「その方が飛ぶ気がするんで」とか言っていましたが、きっと「言っても分かるまいな」と思っていたに違いありません。
太気拳は見得を切るような残心は行わず、打ちに入ったら相手が倒れるまで動きが止まらないのが本当である、とされます。でも、一太刀で極めるような時は、意識して形としても残心を取ることが必要であると感じます。
私自身は日本武道出身であり、中国武術については詳しくありません。中国武術における残心の有無についても知りません。そして、太気拳は厳密には伝統的な和食でも純粋な中華でも無い、それでいて両者のエッセンスを含む“ラーメン”であると思っています。
であれば、太気拳にも“残心”はあると考えるべきでしょう。
まぁ、いずれにしても今は先人の英知に科学が少しずつ追いついて来ている、そんな時代になりつつあるのでしょう。今後は、少しはそのあたりも勉強することが必要ですね。
【今日の一枚】
イワシのメザシとドンブリ飯で驚異の肉体を練り上げた故・木村政彦先生に想いを馳せ、イワシをがっつり食べました