我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

ごぶさた!!のすけ。です。

みなさま こんにちは。当ブログ、本来の管理人のすけ。です。
おかげさまで、元気にしております。

さて本日は、のすけ。が、お。
と、感じた文章を抜粋紹介します。

<<2009年3月27日発行 メールマガジン JMM [Japan Mail Media] No.524 Extra-Edition2より抜粋>>

『無趣味のすすめ』

 まわりを見ると、趣味が花盛りだ。手芸、山歩き、ガーデニング、パソコン、
料理、スポーツ、ペットの飼育や訓練など、ありとあらゆる趣味の情報が愛好者向
けに、また初心者向けに紹介される。趣味が悪いわけではない。だが基本的に趣味
は老人のものだ。好きで好きでたまらない何かに没頭する子どもや若者は、いずれ自
然にプロを目指すだろう。

 老人はいい意味でも悪い意味でも既得権益を持っている。獲得してきた知識や
技術、それに資産や人的ネットワークなどで、彼らは自然にそれらを守ろうとする
。だから自分の世界を意図的に、また無謀に拡大して不慣れな環境や他者と遭遇する
ことを避ける傾向がある。

 わたしは趣味を持っていない。小説はもちろん、映画制作も、キューバ音楽のプロ
デュースも、メールマガジンの編集発行も、金銭のやりとりや契約や批判が発生
する「仕事」だ。息抜きとしては、犬と散歩したり、スポーツジムで泳いだり、海外
のリゾートのプールサイドで読書したりスパで疲れを取ったりするが、とても趣味と
は言えない。

 現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、
洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときに
は変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすも
のがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神を
エクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大な
コストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存
在している。

 つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
                                   
                           村上龍


朕思フニ・・・まあ、そう言う意味じゃわしも無趣味人間だ。でも、龍ちゃんみたいな「仕事」って、趣味を楽しむ大衆にささえられたものだから、受け取り方一つで、天に唾するような発言とも言えるよなぁ。さすが、と思わせる鋭い斬り口ではあるのだけれど。
(By 小山支部長)