我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

エネルギー充実回路

時々私は走る。勤め先から社宅までの1コンマ何キロの距離だが、通勤のときの格好で走る。別にトレーニングではない。社宅の敷地内に研修所やら何やら施設があるんで、そこへの移動がちょくちょくあるのだ。

んで、そこそこ速い。駐車場への移動が無い分、時々私のほうが車で移動する同僚より早く着いたりする。同僚はちょっと驚くようだ。「さすが拳法をしている人は違いますね」とよく言われる。私が相当なトレーニングをしていると信じているようだ。

実はランニング系の鍛錬は随分とやっていない。小山に来て、ごく短期間やってみたが、二日休むとやる気が出なくなる。早々にやめた。続けているのは太気拳の稽古と、あとは今年に入り少し身体の焼き直しをやり始めたくらいだ。

体力の養成って、いわゆるハードトレーニングだけが有効な手段では無い気がする。動けなくなるまで鍛錬するってのも、若い一時期は結構。私も随分やりました。だが、常に身体を熱し続けていなくてはならないのならば、これはなかなか大変な話だ。

よく武道雑誌に選手の体力強化メニューなど紹介されているが、きちんと働いている一般の人間は、そんな時間がなかなか取れない。別途技術面の稽古をするとなると、とてもではないが勤め人の大半は武道を継続出来ない。

ぶっちゃけ体力って、持って生まれた要素もあると思う。でも、それだけではない。何だか体力が自然に充実してくる“回路”ってのがある。

それは心身の持つ自然な要求に沿った行動ではないだろうか。謂わば、自然体の追求。それって好き勝手にやる、と言うこと?

そうではない。大概の人間の“好き勝手”はアタマで作り上げたものだ。心身の要求に沿ったものではない。だから、好き勝手やっている奴は、身体を内側から壊している。息もすぐ上がる。

自分の心身の声が聞ける素直な自分。私はこれを稽古の哲学に据えている。自分の心身の状態が感じ取れるから、身体が良い状態にハマる。当然ながら、エネルギーが湧き出てくる。数値化出来にくいが、在るものは在る。

太気拳の立禅や這は、そういった心身の深い所に眠る“エネルギー充実回路”を目覚めさせるメソッドなのかも知れない。