良い稽古相手がいる、ということは有難い
今日の稽古は(も?)県内から参加のY氏と二人で。家内は、ちと疲れ気味で腰痛が出たため、柔道場で体操を中心に調整。
禅を組んで軽く動いてから、袋竹刀・打ち込み・掌打合わせなど、相対練習を繰り返し稽古した。Y氏は昨日電車に乗りそこね、都内の漫画喫茶で夜を明かし、小生も昨夜は色々と読書などしていて睡眠三時間半。
二人とも結構“来ている”のだが、そのせいか、体力に頼る稽古にならず、見切りと間合い、そして呼吸を合わせて動くことが出来たかも(?)。
袋竹刀で中段・上段の防御を何通りも稽古したあと(写真参照)、パンチンググラブを着けての打ち込みを捌く練習。これは双方足を使い、連打もあり。捌いたら即反撃をすることを念頭において、力まず柔らかく速く動くことを心がけた。
相対練習は、お互い気を抜かないながらも、あくまで“勝負”ではなくて“稽古”なのだという理解がないと、意地の張り合いや力勝負になってしまう。
意地の張り合いは、太気拳どころか武術・格闘技ですらない。
ムエタイなどでも、普段の稽古では柔らかくリズムと間合いの稽古を丹念に積む、と聞いている。丹念な稽古が出来る相手に恵まれる、というのは有難いことである。