我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

三倍は技の外 - その2

格技の実力を構成する要素として、俗に「パワー・スピード・テクニック」と言われ、この要素の総和がその人の実力であるとされる。

力で勝てない相手を技で制する、技がある相手をスピードで制する、などというが、手段がパワーであれスピードであれ、そして技であれ、自分勝手な我を通すという戦いは真の勝ちではないと、何百年も前から武蔵を初め幾多の武芸者達が喝破して来たところである。

真の勝ちとは何か?「順道制勝」、すなわち、自然の道理に従って勝つこと。然るべき時に打ち・突き・斬り・抑えればよい。その為には、身も心も我欲(=不自然)を離れ、自然体にならねばならない。

この技を使って云々、と言う心が自然体の完成を遠ざけてしまう。

父の友人に著名な武道家がいる。その人が若いときに急いで駅を走っていたら、人にぶつかって転倒した。えらく腰が入ったひとだなぁ、と驚いて見てみると、ただのオバアチャンだったとか。

一流の武道家と言えども、気が上がって自然体でなくなってしまえば、バアチャンの自然体に敵わない、ということであろうか。

もっとも、組手となればこのお婆ちゃん、一気に平常心を失って武道家氏のエジキとなってしまう事は言うまでもないが、鍛えなくてもこれだけの力を人はその体内に秘めている、ということである。

武道の稽古とは武技の鍛錬を通して、いつ如何なる時にもこの自然体の力を発揮できるようにして行くものだ。武を通して「道」すなわち自然体に至るのが、その真諦である。

技で勝とうとか、スピードで撹乱しようとか、浅ましい考えは持たないことだ。「然るべき時に打つ」境地を目指して、倦まず弛まず稽古に励むだけである。