我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

心胆錬磨

指導の最中に時々「お前喧嘩くらい、したことがあるだろう」という表現をすることがある。大学生の頃から後輩を指導したり、長じて少年を指導したりしたときにこんなことを言っていた。

以前は「・・・ええ、まぁ」という返事が返ってきたものだが、最近は「いえ、ありません」という返事が多い。草食化だよね〜と周囲の人は言うのですが、それだけで済む話ですかね??

私が十代だった頃は、スポーツ感覚で喧嘩をしていたな。褒められた話ではないが、30歳ぐらいまでは現役で喧嘩していた。いまでも挑発的な奴をみると・・・いやいや・・・今では物分りの良い先生で通っています。

暴力衝動そのものはヒトの本能として誰にも存在する。暴力衝動そのものは、その人の持つエネルギーの一形態でもある。特に若い男児のそれは単に道徳論で抑え込めるようなものではなく、何某かの形で「昇華」してあげねばならない。

エネルギーそのものに「善」も「悪」もなく、それがどんな方向性を持つか、そんな行動として現れるのか、が問題だ。それを無理やり抑え込めば、何らかのしっぺ返しがある。

多くの男が草食化していると言われる一方で、集団リンチや陰惨なイジメが増えてきているのは、その「歪み」の顕れではないのか?そもそも、本能にとっての善は「種の保存」ゆえ、本能には「集団リンチ」というプログラムは存在しない。まちがった理性・教育ゆえに本能の持つエネルギーを抑え込んだ結果であろう。

困ったことに、政治や教育の指導的立場に入る方々までが「本能は理性により抑え込むべきもの」という「臭いモノにふた」理論を信奉している。

自分の中にある「臭いモノ」を直視する。そしてどうすれば「臭いモノ」を内包した自分を、社会という人間関係の中で「善」なる方向に導けるかを考えよう。

それには単に道徳論や情報を知ることだけではなく、「行」を通じて自分の心身と真っ向から向き合うことが肝要である。私にとって武道とは、他者と対峙することで揺れ動く自分の心身を素直に見つめ、その中にあって不動の心胆を錬磨する「行」でもある。

ん〜まぁね、人格高潔・・・とは程遠いワタクシでありますが(汗)(-_-;)
太気拳を通じた心胆錬磨の道を、人生をかけて伝えて行く所存であります。


太気拳至誠塾栃木支部は、太気拳を学ぶ武術・武道の道場です。武道初心者はもちろんのこと、武術・武道・格闘技で伸び悩んでおられる中級者以上の方も歓迎いたします。また、護身・健身(健康づくり)目的の方の参加もお待ちしております。

太気拳とは>
 中国意拳の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

太気拳とは(詳細版):http://taikiken-tochigi.jp/taikiken/

☆お問合せはこちらhttp://my.formman.com/form/pc/AntTny9AIWHChfRQ/