我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

志・歴史・品格 - その1

「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という諺がある。虎が死んで美しい皮を残すように、人も死んだあとに名誉や功績を残すべきであるということを例えている。

志あるものは、時の経過とともに簡単には風化しない“何か”を残そうとする。それが歴史の積み重ねになる。功績・名誉といってもやたらとナントカ賞や名誉○×を欲しがる俗物が居るが、ここではそういう精神にまで贅肉をまとったブタはさておく。

いささか大上段に振りかぶった物言いをすれば、己が成す行為に意思を以て主体的に取り組んで対象を深く掘り下げ、その過程で得た“真理”を後世に伝える。この積み重ねが歴史であり、それを希求するところに人間の偉大さがある。

だから、自国のものであれ他国のものであれ、歴史を破壊するということは人類の歩みを否定する“天つば”であり、万死に値する大罪を犯しているということなのだ。

私がアメリカ人をアメ公呼ばわりするのは、自らに誇るべき歴史がないのみならず、他国の歴史に敬意を払わず、それを踏みにじることを繰り返して来た蛮族であるからだ。

先日の婆娑羅さまのコメントに応えてGHQが日本精神を骨抜きにした云々、を語ったが、こういう卑劣なことを平気で行うのがアメ公やシナ人だ(もちろん、例外は居る)。

確かに、歴史は勝者が作るという面はある。日本もかつて植民地に対して同様の行為がまったくなかったかと言えば、そんなきれいごとではないだろう。しかし、少なくともアメリカや中国が行うレベルの“民族浄化”は行って居るまい。

民族浄化が好きな蛮族の特徴はと言えば、経済的成功や権力への取り憑かれたかのような極端な執着だ。とことん他者を殲滅し支配し続けねば気が済まない。日本人の土性骨にこのような極端な性向はない。

日本人にもこうした蛮族は存在するのは皆さんもご存じのとおりである。日本はアメ公に精神的に強姦され、時間をかけて去勢されてしまった。なぜここまで見事に去勢されたかと言えば、同胞を去勢する手伝いをした売国奴が居るからに決まっている。

ま、あまり書くとあとが怖いからやめておこう(笑)。


それはさておき、最近ちょっとした“歴史ブーム”である。武将好きの女性が増えたり、坂本竜馬にスポットライトが当たったりしています。取っ掛かりはそれでも良いんだろうけど、つまらねぇにわか知識をひけらかすだけではなく、そもそも日本文化とは何か、というところから見つめ直せる人間が増えて欲しいね。

自分の“表芸”を「そもそも○×とは」、と問い返すことこそが本質的な上達への第一歩ですから。

(つづく)