我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

「なじむ」ということ

共栄ラーメンにて


今日の稽古会は県南体育館剣道場でおこないました。

定番の立禅と揺(ゆり)を行って、腕回し・迎え手など練(ねり)を一通り。動作が整ってきたところで打拳の稽古に入りました。最初はゆっくりと動作の要点を確認しながら、そして段々と早く動きます。

今回の稽古では、やや運動量を多めにして動きの確認だけではなく動作の中で呼吸を整えることを狙いにしました。練と打拳を終えた後、ミット・対人での攻防練習を多めにやって、最後に組手を。

全体としてはいい感じで伸びて来ていると思いました。とにかく太気拳の動き方になじんでもらうことがポイントなのですが、実はコレ、先日全く同じことを剣道の先生に言われたところです。

「島村さんはまず剣道になじむことだ。なじむまでは大変だろうけれど、運動神経はなかなか良いモノがあるから、(剣道の動きに)なじめばどんどん良くなるよ」とのこと。

まだひと月ですから当たり前なのですが、先生の目にはシロート丸出しに映るのでしょう。

なじんでいないことというのは、いくら取り繕っても見る人が観れば一目で分かります。極端な話、道具に触れたり道着に着替えたりしただけでわかります。

例えば私の場合。野球にまったく興味が無く、ソフトボールですら数年にいっぺん頼まれてやる程度ですから全く腰が入りません。

以前知人にソフトボールに誘われて出た時のこと。私の打順になり、立ち上がってバットを持ち打席に向かったら歓声があがりました。普段私の腕力の一端を見ているので、逆転の一発が出る!と思ったらしいのですが、打席に入って構えると歓声がため息に変わりました。

理由は簡単。あまりにシロート丸出しの構えだったからです。ほかならぬ私自身、全身にすきま風が吹いているのを感じていましたから。腰が決まらないのです。

ある武道団体の合宿に参加した際、稽古では驚くほど腰が決まっていなかった人がいたのですが、そのご仁、夕飯(自炊でした)の準備をしようと包丁を握った瞬間別人のように腰が決まり、肩の力が抜けている良い構えをされていました。

ちなみにこの方、お仕事伺うと色々とウニャウニャおっしゃっていましたが、つまるところ専業主夫でいらっしゃるそうです。あの腰の備えで武道をやれば、素晴らしい実力がつくのに、と余計なお世話ですが考えてしまいました。

…とまぁ、ことほど左様になじむということは大切な要素なのです。なじむとは思うに対象と一体になれること。すなわち対象に対して自然と心と体の姿勢が決るということでしょう。心と体の姿勢が決まれば、どんなことでも成功したも同然でしょう。

そこまで地道にコツコツやれるかどうか。成功のカギはこれだけだと思います。


註)今日の一枚は岩舟町の共栄ラーメンさんでいただいたチャーシューメンと揚げ餃子。なかなかのお味でございました!!