親父として
一昨年の五月に「子供がかわいそう」という題で書いたのだが、今日の稽古会の際にも隣のスペースで全く同様の事態が展開されていた。またもや新体操をやっている幼女への親による虐待。素人指導の自己満足練習会だ。
(一昨年の日誌⇒ http://d.hatena.ne.jp/superbody/20070506)
前回の時とは違う親子のようだ。今回も親は何もせず、ただただ子供を罵倒して文句をつけるだけ。娘は泣きながら稽古をしている。
親の自己満足や自尊心を満たすために子供を締め付けるのは、児童虐待にならないのだろうか?自分の人生、よほどツマランものなのだろう。
非難を受けることを覚悟で言えば、教育に親父が関与せず母親が女性の目線だけで子供を育てるというのは、あまり良いことでは無い。
女性の目線というのは「護られる者」としての目線であるから、よほど意識しないと近視眼的になってしまう。大義名分や誇りより、まずは我が身の安全、が女性の視点だ。
このことを以て男女の優劣を説くのではない。もともと持ち合わせた本能が全く違う、という話である。これは差別では無く区別だ。
女の子ならば母親のみの教育でもまだ良いかも知れないが、これがこと男の子となれば大問題となる可能性がある(もっとも母子家庭の場合、俺がやらねば魂が発動するかも知れないが)。
世の父親は「子どもの教育は家内に任せてある」なんていうことは誇るべきでは無く、事実なら恥じるべきである。よほど天下国家に関わる仕事でもしているのならばいざ知らず、多少稼ぎが良いくらいで子女の教育をほっぽり出す言い訳にはならない。
ところで、私はこのたび剣道を始めることにした。半分は娘(へのプレッシャー)のため、そして半分は自分の武道修行の栄養を得るためである。
剣道部で稽古する娘に「気合い入れんかい」と毎日檄を飛ばし、「障害を持たれている方や極貧の国に生まれた方たちに比べれば、豊かな国に生まれた健常者の武道修行など天国そのもの。素質やら環境なんて言葉を吐くのは百年早い」と訓示を垂れているのだが、正直なところ剣道の大変さは分からない。
せいぜいのところ、俺の学生時代の空手修行に比べれば…と昔語りになってしまう。
彼女も反抗期ゆえ「剣道の大変さを分からんで、よう言うてくれるわ」という顔つきで私を見る。んで、どれだけ大変なのかやってみようという訳。
県下最強の剣道部に所属する娘の同輩や先輩に道場で打ちまくられることを覚悟して、気分は『ロッキー6』だ。
四十の手習いで後からやり始めた私の方が先に上手くなり、動けるようになってしまえば娘も言い訳は出来まい。“からだ人間”の私は身をもって示すしかない。
自分の年齢を考えても、新しいことに着手して若手とおなじ基礎練習をこなして身を以て教育できる最後のチャンスかもしれない。
言ってみれば私の教育も自己満足かもしれないが、せめて骨身を惜しまずやって行くしか無い。
(註)本日の一枚は生後7ヶ月半を迎えた大和号。現在の体重は13キロ。最近は甲斐犬らしく狩猟本能の萌芽も見せてくれます。でも、姉犬たちに甘える姿や深夜寝言を言う姿を見ると、まだまだ子供なのかな、とも思います