「気」に思う
今年もインフルエンザが猛威を揮っているようです。年々しつこくなっているようで、会社の人間もすでに数人罹患してお休みしています。
私はここ十年ほどは風邪薬を服用していません。理由は体力と本能を脆弱にするから。
風邪薬でごまかせば抵抗力や回復力という、本来身体が備えている能力を退化させて行くのはよく知られているところです(もっとも、インフルエンザは命に関わることがあるようなので話は別かもしれませんが)。
人間の身体は小さな破壊と建設を繰り返すことで維持強化されると言われていますが、破壊からの回復のプロセスが体力増強の決め手だと思います。風邪薬に限らず薬を常用することは、この破壊からの回復力の養成を妨げる行為というわけです。
生命体としての存在意義は突き詰めれば「種保存」にある、と言われます。すべてが究極的には種保存という目的に向かって動く。生命維持活動もその最たるもので、そのために系統的に発生した仕組みが本能であり、太気拳宗師・澤井先生が言われる「気」の根幹はここにあると考えています。
無軌道な欲望を本能と捉える向きもあるようですが、本能に基づく欲求とは必然性に基づくもの。欲望を制御できない人間を「ケダモノ」などと呼びますが、動物の欲望は必要量満たされたら求めない、すなわち「足るを知る」ものです。
足るを知り、自分の内なる要求を汲み取れるか。目に見えぬ必然性と流れを感得し、適切な行動を取れるか。こういったことを他者と渡り合う中で磨く行為が私の求める武術であり、武術の稽古を通して作り上げる行動哲学が武道であると、最近は考えている。
こう考えると「気と気分だけの拳法」、とは言い得て妙であると思う