我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

根幹原理とテクニック - その2

家内の声楽の先生はアレクサンダーテクニークを身体遣いの根幹原理に、そして具体的表現方法として声楽を教えています。

プロや熱心なアマで歌い込んで声はそれなりのものを持っている人達でさえ、身体の使い方の基礎がまったく駄目、という人が結構多いそうです。人間の身体には高度な順応性があり、それゆえに多少の間違いは無視してやって行けてしまう、ということらしい。

もっとも、そのままでは一定以上のところへ行くのは難しいし、スランプに陥ったときに還る場所が無いし、さらに悪いことには、長いキャリアのうちには身体を壊してしまうことも少なくないと言う。

その先生に何年も習っている人でも、先生の言うことを一から十まで混ぜっ返して、屁理屈をこねるのが居るそうだ。

例えば「腕は胸鎖関節から動く。腕を動かすと鎖骨が動くでしょ?」と話すと、「そんなこと信じられません!」と言う。先生が腕を動かしながら連動して動く鎖骨に触らせても「動くわけ無いじゃないですか!」と始まるらしい。どうやら、身体の使い方の土台作りより、声を出すテクニックをどんどん教えてよ、ということらしい。

まぁ、これは極端な例にしても、この手の人物は結構居ますよね。私の体験を挙げてみます。

あるセミナーに参加した際のこと。先生の話を受け売りをしながら「補足すると」という枕詞とともに、先生とは掛け離れた腐った見本を見せる古参稽古生が居た。勿論、“補足”とは彼自身の勝手な解釈なのだが、その御仁は一を聞いて十を悟った風であったのが痛々しかった。

身体の質を転換させる動きなんだから、話を聞いて知っているということと、それがあらゆる状況下で実践・応用できるということはイコールではない。こんな基本的な事柄を分かっていない。

心身の操作法ってモンを、何かボタンかスイッチみたいに考えているんじゃあないですかね。当然ながらこの手の輩は優しく放置ですよ。

話は若干逸れましたが、身体運動ってのは、丁寧に練り込んだ心身を土台に目に見えるテクニックが存在するわけです。少なくとも、両者は並行して行われるべきで、上辺だけの技をいくら稽古していても、若さや卓越した運動神経にはカナワナイ、っちゅうことです。

太気拳だからってこればっかりは同じ。お手軽技術に本物なんかあるわけ無いです。

ホンマモンの技術で手軽に習得できる技なんて無いし、よしんばあったとしても、それを簡単に習得できるのは自分だけではないわけで…。

私としては、根幹原理とその表現としてのテクニックを、支部会員にじっくりお伝えして行くことがまず第一です。幸い、小山支部には熱心な会員さんが集まってきてくれています。来年・再来年が本当に楽しみです!