我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

一考察

今日の稽古。カレンバッチ先生祭りで探手(簡単に言うと太気拳シャドーボクシング)の話が出たこともあり、話題は探手へ。

太気拳意拳はいわゆる套路(とうろ=型)がなく、内功法と単練を繰り返すのだが、それを自由に組み合わせて表現するのが探手、意拳では拳舞である。

意拳創始者・王薌斎先生は、身法と心法の究極を求めて最終的に套路を廃し、有形無形の拳を生み出した、という。鬼才・王薌斎師により、中国武術のエキスを抽出して近代になって成立した拳法が意拳だ。

ところで、套路は古臭い稽古なのか、と言えばそうではない、と思う。

私は詳しくないのだが音楽の世界では、現代になって“即興”が取り上げられだしたそうだ。それまでは、キチンとした曲が主体だったわけだが、実はコレにしても、バッハ以降の流れだとか。

バッハ以前は、曲の出だしやら導入部があり、その後「あとは自由に」という記号が出て来て、それが出た後は演奏者の感性に任せて演奏したそうだ。まさに探手である。

で、バッハが初めて最初から最後まできっちりと演じる曲目を編んだんだと。これにより、演者や時代がが変わっても共通認識が出来るようになったという。いわば、套路である。

私は音楽や歴史の専門家ではないので、的を射ていない部分もあるかも知れないが、まるっきり外れては居ないはずだ。

双方にそれぞれの良さがあるが、例えば空手の型でも「喜屋武のパッサイ」などと言うのがある。これは喜屋武朝徳先生が遣ったパッサイである、ということ。

結局は、細部の表現に関しては、その伝承者の感性に委ねられる。要は、本質や原理原則に照らし合わせてどうか?という問題であろう。それさえ違えていなければ、表現は千差万別である。

武術も、ずっと昔、感性を手渡しにして稽古していた時代は、套路ではなくて探手だったのではないだろうか?こんなこと考え出すと止まらない。

まあ、戯言であるゆえ、識者の方、いじめんといて下さい。