我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

国技に思う

大相撲三月場所、本日が千秋楽だったのだが、秩父市まで墓参りに出かけていたためにTVで観戦が出来ず、ラジオ中継で聴くことに。

でも、今日に限っては見ないでよかった。す〜ぅっ(息を吸い込む音)・・・「白鵬!!それと朝青龍!!お前らまとめてぶっ飛ばすぞ、コノヤロー!!」(何ぼなんでも無理か)。

今日はな、立行司・第33代木村庄之助の最後の土俵だったんだろ?横綱大関ってのは「公」の存在なんだから、みみっちい「私」の相撲とって喜んでんじゃねえ!変化?はたき?んなこたぁ、三役に上がったら卒業しろや!

わざわざ国技の土俵に足を踏み入れてだな、格闘の技だけ見せて相撲道の美学を体現すべく努力精進しないのなら、髷を切れ!親方衆は譴責処分及び減給半年!

ということで、不肖・鉄太郎、全国1億2千万の相撲ファンの皆様のお心を勝手に代弁させて頂きました。私が苦言呈させて頂きましたのは、スポーツとしての大相撲ではなく、文化としての国技・大相撲なので悪しからず。

日本文化再生委員会の長(そんなんあったんかい?)として誇りと信念をもって断言する!大相撲はスポーツじゃなくっていいんです!

しからば、相撲とは何か?まずは五穀豊穣を祈り祝う神事である。力士はチカラビトというカミなわけだ。戦いのカミ様。どっかの刺青チビの下らんキャッチフレーズなんかじゃなく、本当のカミが力士である。

古来日本では、カミとは人智を越えたもの・この世のものではないものを指した訳で、大自然もカミなら並外れた力を持つモノもカミだ。横綱はそのカミの最高峰である。

ならば地のカミらしく、天に奉納して恥ずかしくない鍛えた技と力のぶつかり合いを見せて頂きたい。その上での戦績だろう。