我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

ゴンフーとは何か〜その3

ゴンフーとは何か〜その3

前回『ゴンフーとは何か〜その2』と題して、直心影流に伝わる「後来習形の容態を除き、本来清明の恒体に復する」について述べる、とお伝えしてから随分と期間が空いた

序章記事 URL:http://d.hatena.ne.jp/superbody/20161017 
第一回記事 URL:http://d.hatena.ne.jp/superbody/20161023 
第二回記事URL:http://d.hatena.ne.jp/superbody/20161211 

期間が余りに空いてしまったので、簡単にまとめると・・・
1.功夫(ゴンフー)とは、中国武術で重要視される「練習・鍛錬・訓練の蓄積」、また、それに掛けた「時間や労力」の意である
2.稽古すればだれでも武術において「一通りのことが出来るようになる」
3.しかし、それを「ゴンフーがある」とは呼ばない
4.「一通りのことが出来る」レベルでは、自分より素材が上の者が少し訓練すれば、簡単に追い越されてしまう。いわば、アタリマエのレベル
5.アタリマエから抜け出るには、身心変容を経て身心霊一致の状態に至らねばならない
6.5歳くらいまでの子供には誰でも直観力が備わっている。長じるに及んで損得勘定をしているうちに、知力と引き換えにそれは失われる。
7.しかしそれだけに頼っていると高度な技術には至らない。知力を以て主体的な働き掛けが必要
8.修練のベクトルとして直心影流に伝わる至言「後来習形の容態を除き、本来清明の恒体に復する」を取り上げてみたい

さて、この至言を実践するのは容易なことではない。すでに述べた通り、素朴な素直な状態であれば良いというわけにはいかないからだ。
長じるに及んで損得勘定や常識、習慣など(=後来習形の容態)を身につけるのは、それが必要となるからである。必要ゆえ身に付けたことではあるが、その過程でゆがんだ「生き物としての自分」を直視することが求められる。

では、生き物としてゆがんでいない状態とはどういうことであろうか?簡単にできる方法を挙げてみよう。
近くの公園に行ってみていただきたい。そしてそこに居るハトを掴んでみればよい。ベンチに腰掛けてじっとしていれば、ハトは寄ってくる。退屈ならば(貴重品を持たないようにして)居眠りでもしていればよい。ハトが寄ってきたら「よし、つかんでやるぞ」と決意して、そっと手を伸ばしてみよう。
おそらく、意を決した瞬間に、あるいは目線を向けた瞬間に、ハトは飛び去る。相当に鈍い個体でも、こちらの身体が動いた瞬間には飛び去る。

ヒトにも多少このような能力はある。電車できれいな女性を見つけてついつい「ガン見」してしまい、そそくさと立ち去られた経験はあるだろう(なければ、“自己責任”にて試してみてください)。ヒトも生き物である以上「違和感」を受信する能力はある。
しかし、武においては違和感を受信する“だけ”では不十分だ。自由意思を以て戦う人間を相手に、身を全うすることが求められるのだから。我々武の道を歩む者は、受信した違和感に基づく「対応」が求められる。
ここで求められるのは「反応」ではなく「対応」だ。これについては、後述するが、あえて「反応」という言葉を使うのであれば、“迅速かつ的確な”「反応」とでも表現するべきだろう。

話しを「後来習態の容形を除き・・・」に戻す。21歳の時に拝読した大森曹玄師の著作『剣と禅』(春秋社)において、この至言に出会った。

当時(1989年)すでに、個性が大事と言うことが叫ばれて久しかったが、著作の中で大森氏が一刀両断している。

以下、引用開始
「その除かなければならないはずの“後来習態の容形”つまり生まれてからのちについた悪い習癖を、世間では個性だと錯覚している。個性とはただの特殊性というようなものではない。普通にいわれている独自性とか個性とかは、その後来習態の容形か、さもなければ一方的に抽象的に考えられた妄想にすぎない」
以上、引用終わり

歌のセリフではないが、多くの人間が口にする「あるが〜ままの〜」自分など、“後来習態の容形”そのものである。

すでに述べた通り、私はあきらかな「悪い習癖」だけでなく、常識や損得勘定をも“後来習態の容形”と考えている。もっと言えば、武術・武道・格闘術における「技」すらも、一般的には“後来習態の容形”であると考える。身体技法における「技」は、身体と言う「素材」を用いて意識的に創り上げるいわば「第二の本能」とも言える。しかしながら、通常の場合、“新しい癖”のレベルで終わることが多い。
なんとなれば、ほとんどの技法は「天地自然の理」、それが大げさであれば「心身の理(ことわり)」に基づいて組み立てられていない。では何に基づいて組み立てられているのかと言えば、多くの場合「流派の都合」「試合形式」に基づいて、である。
これがまさに「後来習態の容形」であり、今井信郎が「免許持ちを斬るのなんか、簡単なことだ」とうそぶいた所以である。
(つづく)

第4回はこちら:http://d.hatena.ne.jp/superbody/20180116


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