我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

不定期連載 『アラブのプリンス』 その2


「もう無い」ってあんた、まだ一本しか出していないだろ。そもそもほかの客といっても俺たちだけである。


誰に言うとも無く俺はつぶやいた。


「だから、あの・・・」そうかい、元々一本しか用意していなかったんだね。しょうがないな。ここは何のお店だよ。

ふと横に目をやると8割ほど入った瓶がある。グラスワイン用に開けたばかりなんだとか。

それを出せよ。グラスワインとして。「そうするわ」

客席に向かう女性店員。客のグラスを回収し始める。何やっているんだ?

「ワイングラス、7つしかないのよ」
どこまでも愉しませてくれる店だ。


席数が20以上あるこの店でワイングラスが7つ?何を考えて居るんだろう。客からグラスを回収し、洗ってもう一度テーブルに置く。


そして半チクなボトルを客席に持って行き、そこで注ぎ始める。俺は軽い目眩を覚えた。客もかなり興醒めしている。

ここは何のお店だよ。俺がやきもきしても仕方ないんだが、どうにも具合が悪い。俺は盛り下がった客に話しかける。

おっさんたちは俺と話が合ってしまい再び盛り上がる。


酔って呂律が廻らない状態であるが、実は商工会の会合で9月に各地からメンバーが集まるので、皆が気持ちよく遊べる店を探しているのだという。


ここを使ってやれば?「おれもそう思っているんだ。スタッフも面白いしさぁ」とリーダー格らしき男が言う。俺はスタッフじゃないんだが、そんなことはどうでも良い。


プリンスを呼び“脈あり”だからしっかり売り込みとフォローをするように伝える。


「OK、OK、だいじょーぶよ」あくまでプリンスの乗りは軽い。今日俺が見ただけでどれだけのポカをやっていると思っているんだ。

おい、きちんとフォローしろよ!


「わかったよ。・・・タマーミ!」女性店員はタマミ(珠美)というらしい。

プリンスに言われて客席に向かう珠美。プリンスは日本語は上手いが交渉事には珠美をつかう。

まあ珠美は愛嬌があるからそのほうが良かろう。


親父たちは店のチラシやらクーポンやらを寄越せ、と言っている。結構本気なのだろう。

しかし、珠美の口をついて出た言葉は、またしても「ありません」だった。

お前ら、店を流行らせる気があるのかよ?


目の前が暗くなるが、それでも何とかかんとか次回の約束を取り付けた珠美。次回は他の幹部も連れて本当に9月のイベントで使うかどうかを決めるための視察だという。1週間後、12名様ご来店だ。

珠美、よくやったぞ!


さて、とリーダー格のおやっさんが立ち上がる。「お勘定たのむわ」珠美がレジに行き勘定を始める。

その合間にも話好きのおやっさんが俺に話しかけ、どこをどう滑ったか話はずんずん盛り上がり、何故か俺が黒人と取っ組み合いになりバックドロップで失神させた話まで引き出される。

親父たちは大爆笑である。


おっと、いかん。もうお帰りだったですね。ところが・・・10分以上経ったのに、珠美はというとまだレジを打っている。

親父たちが苛立ち始めたのを察した俺は、イラン人の恋人を寝取った市議会議員の
息子がどんな復讐をされたか、という話で間をつないだ。

ふたたび盛り上がる親父たち。


結局、珠美のレジ打ちが終了したのは20分後であった。

(つづく)