我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

たまにネットで「2ちゃんねる」なる掲示板見る。

俺自身は書き込みはしないが、色々なジャンルのスレッドが立っており、なかなか面白い。なにしろ、十年前なら、殆どの人が知らなかったような隠れた遣い手まで、話題に上っているのだから。

ただ、違和感も猛烈に感じる。当り前だが、自分にとってネットで得た知識ってのは、いわば参考意見。少なくとも自分の経験と照らし合わせてからでないとペラペラしゃべる気にならない。

認識の最低限の共有化のために言葉がある。だから、同じ言葉でも発する人によって重みが異なるのだ。

ネット覗いているだけの素人や初段クラスが、その道の大先達の発言を茶化すのみならず、互角の立場に居るかのように揚げ足取るなんて。

自分の内から湧き上がるものを表現するために、言葉を使うのであって、“湧き上がるもの”がなければ黙っていれば良い。理も言葉も後付けであって、それのみを肥大化させて使うためのものではない。

                     鉄太郎