我が拳客商売

拳の研究・指導を生業に据えての世渡りの中で起こる悲喜こもごもを、筆の赴くままに書き綴っております

武における立禅の効用〜その2

なぜ「座」禅ではなく「立」禅をおススメするのか?について考察を述べます。
まずお断りしておくと、私自身は少年時代にある程度座禅の経験があります。また、長じてからも一時期取り組んでおりました。もちろん、立禅と同じ熱量で取り組んだわけではないのですが、一面的な観方だけで述べているわけではない、ということをご理解ください。

ちなみに仏教において「禅」とはどのように捉えられているか。宗派によって多少相違はあることを承知で、とりあえず真言宗泉涌寺派大本山法楽寺さまのサイトより引用します。なお、私はこの宗派をよく知りません。たまたま「禅とは何か」で検索した際に見つけただけです。

〜以下引用開始〜
そもそも禅とは、サンスクリットdhyāna[ディヤーナ]あるいはパーリ語jhāna[ジャーナ]の音写語として用いられた禅那[ぜんな]の略です。これは、「考える」などを意味する√dhyaiからの派生語で「沈思」から「思想」、そして仏教においては「瞑想によって獲得された心の特定の状態」を意味する言葉です。
〜以上、引用終わり〜

この引用の定義を借用すると、座禅とは「心の特定の状態を獲得するために行う座位の瞑想法」であると考えればよいでしょう。そして、この「心の特定の状態」こそが、山田英司氏のいう「自己をあるがままに、客観的に見る認識力」の基と考えられます。

座禅における心の状態と立禅で培う心の状態は、厳密にいえば異なりますが、そこは今回あえてスルーしておきます。

座禅を経験された方はご存じでしょうが、禅においては「調身・調息・調心」を要求されます。武術でおこなう立禅でもこれは同じですが、武においては「意と力の統合」「心理作用と生理的変化の一致」ということが厳しく求められます。なぜならば体格や経験・体力が同等の者同士が戦った場合、思惟と動作の乖離が大きいほうが必ず後れを取り、敗れるからです。

武においては、というよりも人間の運動の基本は「立位」です。したがって同じ「調身・調息・調心」といっても、調えるべき「身」の在り方がまったく異なる。立位においては、接地している個所は足の裏だけです。足裏の形状とその機能が、人間だけに許された大地への直立(および二足歩行)を可能にするわけです。

立位で禅を行うことは、この足裏の形状と機能を体験を通して識るということでもあります。足の裏だけではありません。地を踏めば地面反力が足部脚部を通じて上方に伝わります。静かに立つことで、そのさまを観察することにつながるわけです。

当ブログの読者の方は、心身一如という言葉をご存知でしょう。言うまでもなく、心身は厳密には不可分です。心の状態と身体の状態は相互に影響を与え合う。したがって、人間としての心身覚醒法の基礎としては、立位で行う立禅を基礎に置くことが自然でしょう。立位における心身運用が十二分に開発されたのちに、座禅を行えばよいと思います。

あまりに便利すぎる現代社会で心身を甘やかしてきた我々と異なり、昔日の人間は庶民ですら身体全体をまんべんなく使って生きていました。まして、その基礎の上に武芸を学ぶ武士となれば、その身体能力のレベルは我々とは別次元だと捉えるべきです。心身を十分に練ったお侍であれば、座禅で十分に「武的能力覚醒」の機能を果たすだろうと思います。

また、結跏趺坐のような特殊な座法が心身に与える影響も、入念に考察するべきであろうかと思います


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 中国拳法の流れを汲む武術。創始者澤井健一が立禅と命名した「ただ立つだけ」の独特の鍛練法を核とする。

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